偉大なるかな

自然治癒力

 極論ではあるが、もし上下水道が完備しており食料も十分にある自然に囲まれた環境下で生活したなら、病院や医者が居なくとも、平均年齢60歳はかたいと思う。
 60年の間には、数え切れないほどの病気に罹っている筈だが、病気になる都度、自然治癒力で乗切っていることを忘れないで欲しい。
 今あなたがこうしているのは、上り坂や下り坂、時にはまさかを乗り越えたからで、それは自然治癒力のお陰である。
 もしこの恵れた環境下でも、自然治癒力が消失した瞬間、このグループは平均寿命どころか、遠からず地上から消滅することも間違いない。


 昭和60年頃、春の甲子園大会に静岡県下でも有数の進学校が選ばれた。ところが、大黒柱の投手が原因不明の脚の痛みに襲われ、松葉杖で歩く始末だった。
 近郷近在は言うに及ばず、名医があると聞けば東京にも出かけたが、病状は一向に好転しない。
 たまたま、私が藤枝の寺に出かけようとした時、投手の父親から電話があったので、藤枝に来れば診てあげると返事した。
 約束の寺で待つと、190センチの長身の男が現れ、松葉杖だった。左手を見ると、金属バントの腕時計をしている。いつからそれを着けているのか訊ねると、選抜出場の祝いに貰い、寝る時も着けているという。
 時計を外して歩かせると、松葉杖なしで全く違和感なく歩ける。着ければたちまちの痛みで、松葉杖がなければ歩けない。
 時計を外し、シャドウピッチングをさせたがそれでも支障はない。当人はすぐにもグラントに戻る素振りを見せたので、足に申訳程度の処置だけで帰すと、一部始終を見ていた投手の父親や住職とその家族はあっけにとられていた。
 この話が嘘か誠か、すぐに分る方法がある。金属バントの腕時計のバンドを弛め、指にかけ脈を取る。脈を取ったまま、時計を指から外す。バンドが指に掛っていたときの脈は早くて弱く、バンドが外れた瞬間から、脈は遅くて強くなるのが分る。
 この現象は、金属バンドが掛っているときの心臓の動きが不十分で、脈拍を多くして血流を確保し、バンドを外せば心臓が大きく動くため、ゆっくりした鼓動で十分な血流が得られると考えられる。
 金属バントの腕時計が健康阻害因子一つであることは、この研究が始った早い時期の昭和53年には発見していたが、後に目立たず簡単でタダ同然で無害化する方法を発見した。指輪やネックレスにも簡単に対応できる方法がある。
 話のついでにもう一つ。
 知人の娘が、結婚して第一子を身ごもった。お腹が大きくなり始ると、酷いつわりになり、医者は母胎がもたないから堕すのを勧めた。
 電話で相談を受けた当方は、指輪とネックレスを外したか確認した。ほんとになにも付けていないか念を押すと、結婚指輪は付けているという。
 宝石のあるものだけが指輪で、結婚指輪は指輪だとも思っていない。「それを取れ」と指示をして待つと、「アッ、治りました」と答えてすべてよしだった。


 二十代の女性が、笑っても階段でも尿漏れがある。英語でLaughter wet pantsだから、笑って失禁の悩みは万国共通と察せられる。
 指輪をとると、ジャンプしても漏れない。


 能代工業高校はバスケットの名門校である。私は、ここの主将の両親と懇意にしており、愛知県で開催されたインターハイの応援に駆けつけた両親は拙宅に泊った。
 前評判では能代の六連覇なるかと騒がれ、親は気が気でない。私は、つま先にある集中力を高めるツボを教え、試合の直前に選手と控の全員に処置してあげるよう教えた。
 試合では持ち味を存分に発揮して、決勝戦ですら前半で勝負がつき、控を出して戦う余裕の勝利だった。


 音楽史に名を残す大指揮者・トスカニーニのため作られた楽団、NBCがあった。この楽団は、各パートの世界一を集めたものだった。バイオリンによる能力開発の鈴木鎮一先生は、NBCの首席ビオラ奏者・プリムローズの奏法を高く評価していた。
 しかし不幸にも、前立腺癌に罹り、癌は腰椎、肩の骨、と頬にも転移しており(骨に転移があれば助からないのが医学界の定説)、彼はオーストラリアで余生を送るため一家はニューヨークを引払っていた。
 昭和53年、鈴木先生の招きで来日したが、誰もが最後の機会と思っていた。むろん彼自身も。
 そのとき鈴木先生は、プリムローズの癌を治して欲しいと言った。会場に赴くと、300人ほどのバイオリンの先生に奏法指導していたので終るのを待った。
 彼は周昌院の効果を まったく信じていないと分ったので、先ずはレッスンの合間に目のツボに処置すると、望遠鏡のピントを合せる仕草で効果を認め関心を見せた。視力が回復したのだ。
 難聴のツボに移ると、彼が「待った」の合図をして、伴奏のピアニストに低い音の方から高いほうにゆっくり弾くよう指示して目を閉じた。鍵盤の中程でストップをかけ再度弾かせたが、やはり同じ音でストップを命る。それよりも高い音は聞こえないのだ。
 耳の周辺の難聴のツボに周昌院を施し再度ピアノで確認すると、四音か五音だけ音が上った。音楽に素人の私はがっかりしたが、彼は喜んだ。
 音域は少し拡っただけだが、音が明瞭になったと喜んでくれた。西洋医学万能信者の彼にも、周昌院の威力が理解できた。
 夕食後の彼の部屋を訊ね、下腹や背中、頬などに周昌院で手当して辞した。翌朝の彼の顔は、昨晩まで盛上って毒々しい赤紫色だった頬の癌は消えて左右対称の頬になり、傷口に僅かなピンクの痕跡を残すだけだった。
 二週間後に名古屋で演奏会があった。実は豚児のバイオリンの先生から、演奏会のチラシをもらった時、プリムローズの横顔の写真を見ただけで耳が悪いと言うと、その耳を治して欲しいと頼まれた。
 弦楽器は造音楽器だから、少しでも耳が悪いと音程がずれる。私は少しばかり遅刻して会場に入り、舞台下手の袖で彼を待った。そこには十人くらいのバイオリンの先生が居た。
 ピアノ伴奏の曲から無伴奏曲に変るとき、彼がカーテンの陰に戻ってきた。うかつにも、周昌院の大切な道具の一つを忘れたことに気づき、それに代わるものを探すと大道具係が使う釘箱が目に入った。程よい大きさの釘を取出して、先日と同じツボに周昌院を施した。
 耳の前に縦に二三本の深いシワがあり、これが耳の悪い印である。このシワの上にも周昌院で手当して舞台に戻った。
 演奏が再開されると、舞台の陰で手当を見ていたバイオリンの先生が一斉にうなった。さっきまでの音とは全然違う、流石はプリムローズだと感じ入っていた。
 ひとりの先生が私に近づき、「よくなった。伊達にNBCの首席奏者じゃない」と囁いた。
 会場にはなん十人ものバイオリンの先生と、千人を越す生徒が聴きいっていた。しかし、舞台の陰で何があったのか誰も知らない。
 演奏会が終った後、客席にいたバイオリンの先生達の感想は、前半と後半では全く別人の出来映えだと言ったが、その理由は分らなかった。
 楽屋に戻り明るいところで頬を観察すると、二週間前の癌は跡形もなく消失しており、顔色や艶も健康人と変りない。
 癌が治ったプリムローズは、活動の本拠地ニューヨークに戻り、枯木に花を咲かせた。目出度やな、めでたやな。


 28歳の男性が、二度目の脳梗塞で倒れ相模原で入院した。半身完全マヒのうえ、話もまったく出来ない。
 徳島の母親が主治医に見通を聞くと、半年経ったらリハビリを始めるでしょうとのこと。母は、命は助っても、完全回復は望むべくもないと解釈した。
 思案に暮れた母親は、隣に住む老婆になにか方法はないかと相談した。話を持ちかけられた老婆は、当方に電話相談した。相談を受けた当方もダメで元々と、10センチ角のガーゼにちょっとした仕掛けをしたものを作るよう、電話口で指示した。
 そのガーゼを持って集中治療室に駆付た母親は、担当医の了解を取付け、患部のあたりにガーゼを当て、手ぬぐいで頬被させた。
 翌朝目覚ると何の支障もない完全回復である。医師も驚き、レントゲンで調れば、梗塞は残っていても、その血管のすぐ脇に新たな血管が出現しており、しかも梗塞を起した血管とは逆方向の血流だという。集中治療室から即退院であった。

 一ヶ月後、患者本人が車を運転し、徳島から豊川の周昌院事務所に現れた。一通の挨拶と礼が済むと、白血病の治し方を教えて欲しいという。
 聞けば、従姉妹が白血病で大学病院に入院しており、病状は芳しくない。応急処置だけ教えて、一日も早く外出できるようにし、外出許可を貰ったら豊川まで連れてくるよう指示した。
 なんの連絡もないまま三ヶ月が過ると、白血病だった患者と名乗る女性から電話があった。「お陰様で、アッと言う間に治って、元気に働いています」んだと。イャー、参った、参った。


 川崎医大の病理学の教授に、私のところでは、白血病は急性でも慢性でも簡単に治っていると話すと、急性白血病なら骨髄適合者があれば治る人もあるが、全員が治るわけではない。
 慢性では、たとえ骨髄適合者があっても、絶対に助りませんと言う。新聞やテレビは調子のいい報道ばかりに偏向するから、真実と報道がかけ離れることがある。臓器移植にしても同じだ。
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