限りなく続く宝の山脈

 友人の医者の家で談笑していると、娘さんがあなたはなにを専門にしていますかと聞く。
 私も一瞬考えて、内科、小児科、外科、産婦人科、精神科、ひとりで総合病院ですと答え、一座は大笑いした。
 めでたい話では、不妊症がある。不妊症についての私の考えは、医学的な見解とは全く異なる。
 そもそも、精子と卵子は受精するのが使命で、受精すれば受胎するように出来ている筈だ。
 40年も昔のこと、医学雑誌「ランセット」に、顕微鏡下で受精の様子を観察していると、精子と卵子の持主により、すぐ受精するものとなかなか受精しない組合せがあるという。
 精子と卵子の使命は受精なのに、相手を選ぶとは不可解である。
 そんな謎も、自然治癒の研究を始めて間もなく、肉体の相性があることを発見し、謎は氷解した。
ツボの相性と不妊症
 時は昭和52年8月20日のころ、夜の9時を廻っていた。家内は窓を閉め、洗濯物をたたんでいた。二人の子供は隣の十畳の部屋で白河夜船である。
 たたみ終わった洗濯物を箪笥にしまうため、子供の寝ている部屋に家内が入り十秒もすると、6歳になったばかりの息子がヒューヒューと大きな喘鳴をたて始めた。
 家内が部屋に入るまでは静かに眠っていたのに、突然の激しい喘鳴に私の方が驚いた。
 直ちに家内を部屋から出して居間に戻し、寝室と居間の間の板戸を閉め、寝室の窓を開け放ち外気を入れた。
 喘鳴はピタリと止み、静かに眠っている。窓を閉め家内を招じ入れれば、やはり激しい喘鳴が始る。
 家内を出し、窓を開けるとたちまちに喘鳴は止る。何度繰り返しても同じことが起きる。
 先に生れた娘は徹底したお父さん子だったから、後から生れた息子は当然のことながらお母さん子で育った。
 しかし、肉体的な相性は、精神的な相性とは全く別だった。この時から、肉体的な相性はだれとでも存在し、実子とか他人とかは何の関係もないことが分り、それを「ツボの相性」と言うようになった。
 つわりについても、ツボの相性を調べると例外なく一致することが分かった。
 母親は、何人もの子供を産んでも、悪阻のことだけは何年経っても、それぞれの子供について正確に覚えている。
 お産のことは、だれがどんなだったのかうろ覚えどころか完全に忘れているが、悪阻だけは正確に記憶している。
 周昌院の一升瓶テストによるOリングテストで、母親に瓶を持ち上げさせ、子供が母親に触れると、悪阻が重かったときの子供が触るとビンが重くなり、悪阻が軽かった子供が触れば少ししか重くならない。中には、子供が触るとびっくりするほどビンが軽くなる母親がある。
 その子がお腹にいたときは、周りの者が驚くほど元気で、悪阻は全くなかったでしょうと聞くと、例外なくその通りだったと答る。そんな母と子の時は、病気になったらこの子に看病してもらいなさい。すぐによくなるからと指導している。

 「押せば命の泉湧く」の科白で一世を風靡した指圧師の浪越徳治郎は、父親が屯田兵で北海道にいたとき、母はリューマチに罹った。
 夜になると決まって「徳や、さすっておくれ。お前がさすってくれると楽になるよ」と、小学2年の徳治郎少年を指名し、ついには治してしまったという。
 このことを、指圧の天才と自慢していたが、彼は殆どの人によく効く気の持ち主であった、つまりツボの相性がいい体質だったと私は思う。

 ツボの相性が悪くて病気になった例は数限りなくあるが、最も深刻な例をひとつ紹介する。
 浜松から3歳の女の子を連れた患者さんがきた。足を引きずって、見るも痛々しい姿の腰痛である。
 私が部屋に招き入れると、子供が母親と少しばかり距離ができた。その瞬間、母親の姿勢がスッと自然体になり、子供が近づくとたちまちに惨めな姿になった。
 子供を部屋から出して戸を閉めると、まるで別人のように軽々と動く。これは、倅と家内の関係と逆のツボの相性の悪さである。さぞつわりも重かったでしょうと聞くと、その通りだったと言う。
 子供に周昌院の件の一つを持たせると、母親に触っても腰の痛みは格段に少なくなり、母親にもそれを持たせれば、痛みはさらに軽くなる。
 聞けば、この子を挟み川の字に寝ているという。これからは、ご主人の向こう側に子供を寝かせるように指示して帰した。
 二ヶ月後、子供を連れて再度来たときは、顔かたちだけでなく動く姿のすべてが変っており、どんな病気の人だったか思いだせず、子供を見てあの時の人だと分るほど元気になっていた。
 子供との相性の悪さが分ると、子供のいる部屋に入っただけで体に大きな負担がかかるのが分り、子供とご主人は別の部屋に寝ているとのことだった。
 彼女の話では、妊娠中もお産の後も、腰痛は大変なものだった。
 あまりの激痛に、授乳もおむつの取り換えさえできず、ご主人は会社を辞め、近くのガソリンスタンドに勤め、時間を見計いミルクを飲ませたりおむつを取換えに帰った。
 買物は、まるで年寄りのような格好で、乳母車に取りすがりのろのろ歩いた。
 そんな激痛が、たった一度豊川に出かけただけで跡形もなく治りスタスタ歩くから、町の見知らぬ人までが、どうしてそんなに早く治ったのか、しばしば聞かれた。
 道理で、彼女が帰るとにわかに浜松から来る患者が増た訳だ。


 ツボの相性は人と人の間だけではなく、人と動物の間にでも起る。石川県小松市の女性は、妹さんとの二人暮しで、膝が痛くて何度も豊川にやってきた。
 私のところでは簡単に治るが、家に帰ると元の木阿弥だという。
 あるとき、彼女の衣服に犬か猫の毛がついているのを見つけた。それは猫の毛で、五匹も飼っているとのことだった。さらに困ったことに、猫を布団に入れて寝る。
 実は、私はほとんどの人とツボの相性が悪い。一般的には十人に二三人ぐらいは相性のいい人があるものだが、私とツボの相性がいい人に巡り会う確率は十人か二十人に一人ぐらいしかいない。
 私の方法なら、ツボの相性などはどうでもいいが、もし私が鍼を打つ立場にあれば、ヤブ鍼灸師と陰口をたたかれるだろう。
 私の経験では、正確にツボを取る技術の巧拙や配穴(つぼの組合せ)の妙などより、ツボの相性こそが効き目の決定的な要素であると確信している。
 この問題は単に鍼灸だけでなく、手かざしで病気を治すヒーラーの場合でも、私のような体質のものには全く不向きで、どんなに大きな看板を掲げてもだれも寄りつかないだろう。
 世の中には、修行や訓練を積めば、手かざしで病気を治す技術が身につくという向きもある。
 訓練さえ重れば、殆どの人は手のひらの感覚が上がり、病気の部位ぐらいはわかるようになる。しかし、それで病気が治せる訳ではない。
 
 手のひらで病気を感知する能力と、治せる能力は全く別のものである。ところが、掌で病を感知する能力がついただけで、それで病気も治せる能力がついたと誤解する人が多い。
 私の三十年近い経験では、手かざしで治せる能力は生まれつきの体質で、修行や訓練では体質は変えられない。
 修行や訓練などしなくとも、十人に二人や三人ぐらいの確率で治すだけなら、ツボの相性のいい人が二三割ぐらいはいるのだから、だれでもその程度の治療能力は持っている。治療することを「手当する」と言うのも、手かざしから出た言葉かも知れない。
 もし、ツボの相性がいいと分かった人に手かざしをするときでも、周昌院の森林浴の手法を、術者にも被験者にも取入れれば、効き目が断然強くなることは言うまでもない。
 バイオリンによる幼児教育で、世界中の音楽教育を一変させただけでなく、海外では教育家としても名高い鈴木鎮一先生は、手かざしによる強い治癒能力の持主として、音楽界では有名である。
 先生は、ご兄弟を10メートルも離れたところから手かざしで治したこともあると自慢される。
 先生は、ご自身のあまりにも強い手かざしの治癒力に、信州大学病院の前に治療院を開業し、「信大で治らなかった人治します」と看板を上げようと一時は思った。
 しかし、年寄りの病人より未来を担う子供の教育の道を選び、才能教育研究会を作ったと冗談交じりに話しておられた。
 今までに私が経験した手かざし能力の最強の持ち主は、周昌院の檀家のおばあちゃんで、私も随分助けられたことがある。
 しかし当のおばあちゃんや家族は、そのような能力に全く気がつかないし、認めようとしない。
 私の息子が完全に健康になったのも、いぶかる彼女を私が指導し、一度だけ15分ほどの手かざしを受けてからである。
 彼女の素晴らしい能力をどんなにすばらしいと褒めたたえても、当人はそんな力があるなどとは今も全く思ってない。
 それどころか、何の取り柄もない、ただの田舎のおばあちゃんだと思っている。


 周昌院事務所で、膝の痛みが治った小松市の女性の話に戻す。
 私が彼女の飼っている猫の代わりに、私が彼女の肩や背中に触ると膝が痛くなり、手を離せばその瞬間から痛みは消えて完治した状態になる。
 ツボの相性は、人と人だけでなく人と猫でも同じことが起こるから、特に相性の悪い猫はどれなのかを見極め、その猫はあまり近づけないようにと指導した。
 犬や猫だけに限らず、極端にツボの相性が悪い夫婦の場合は、ダブルベッドや夫婦蒲団はやめ、別々の蒲団やベッドで寝るようにも指導している。


 これは先に述べた健康阻害要因にも該当することであるが、空気の問題でもある。
 周昌院事務所で働く女性の子供は、小学校5年になって3夜連続で寝小便をした。その原因は電気アンカだったのだ。
 私のところで働いているから、電気アンカが体によくないことは重々承知していた。そこで、早めに布団を敷き、アンカで足元を温め、布団に入るときにはアンカを布団の外に出すようにしていた。それでも、アンカを使うと寝小便をした。
 それからは、アンカを使わないようにすると、寝小便は治まった。電気アンカの発する悪い気が、布団に残っているらしい。
 そこで、事務員を相手に実験してみた。
 最初に、タオルを畳んで手の上に載せ、一升瓶二本を束ねたものを持ち上げさせ重さを覚えておく。
 次は、タオルで電話機を覆い、10秒ほど置いた後タオルを手の上に戻し瓶を持ち上げると、初回より遙かに重く感じた。
 これは、タオルの中に悪い気が残っているのだ。タオルをパタパタと「空中で洗う」と、毒は消え瓶も軽くなった。

 ツボの相性は、時には親子の間でさえこのように顕著に表れる。ましてや夫婦となれば、肉体的には他人の間柄である。そうなると男も女も健全な身体であるのに、不妊症があって当然である。
 私のところでの不妊症の成績は大層よく、周昌院事務所に来て一回目か二回目の排卵で、殆どの夫婦は受胎している。
 数ある不妊症の中でも、結婚して14年経った37歳の女性の場合が思い出される。
 処置後、最初の排卵で受胎し、健康な男と女の双子を授り、平成20年4月から小学生になる。
不感症
 高校生と中学生の子を持つ、40代半ばで病弱な人のこと。こちらに予約をしていても、当日になると体調不良で3回もキャンセルが続いた。
 4回目の予約で来たが、3人の友人が付添って何とか辿着いた。
 処置を初めて10分もすると、見違えるように元気になった。そのとき症状は出ていなかったが、娘時代からしばしば膀胱炎になるから、出来たらそちらも治しておいて欲しいという。
 そこでスカートの上から、両手の指先を立てて下腹をツンツンと押すように指示した。案の定、不快な表情になる。強い尿意を催すと言う。
 この人に限らず、二三度膀胱炎を経験すると、殆どの人が同じ反応をする。
 下腹に簡単な処置をして、再度ツンツンと押してみると涼しい顔である。
 一週間後に同じメンバーで現れ、連立って来た友の前で意外な告白があった。
 周昌院事務所から帰ると、別人を思わせる元気溌溂ぶりにご主人が驚いた。
 床に入り、久しぶりに肌を合せると、夫は今までとは全く違う反応に驚き、「おぃ、周昌院って、どえらく効くなぁ」と囁いた。
 彼女は彼女で「性欲と快感は男だけのもので、女にはない。天にも昇る・・・とか、めくるめく官能の・・・の感覚の持主の女が稀にあり、だからこそ小説になると勝手に決めていた」と、まあ性情報過多のご時世に、浮世離した人がいたもんだ。
 3人の同僚もこの言葉に驚き、「よかったね」と祝福していた。
 膀胱が空なのに、下腹を前記の要領で押して尿意を催す女性は、不感症かそれに近い人が多い。
 そんな時は、下腹におまじない程度のことをしただけで、悩みは解消している。
胎内記憶
 新婚間もない膀胱炎の持病がある女性も、簡単に治った。2回目の時、意外な告白があった。

 ある夜の睦合いで昂ぶると、思いがけない記憶が蘇った。
 それは子供の頃からしばしば見た夢で、鯨が現れて巨体が覆い被さったり、鯨の背中に乗るうれしい光景だった。
 不思議なことに、鯨にのしかかられても息苦しさはなく、言葉で表現できない気持ちのよさがあり、その夢を見るのを心待ちにしていたほどだ。
 背中に乗っても落ちる不安は全くなく、大船に乗ったようで大きな鯨に守られる幸福な気持ちが大好きだった。

 人は、胎内で生物進化の過程を辿り、胎児は一日に一千万年以上の進化をする。
 その名残の遺伝情報で、空を飛んだり水中を泳ぐ夢を見る。また出生後は、成人するまでに人類進化の過程を辿る。

 しかし鯨の夢は、鳥や魚の夢とは別のもので、幸福感や安心感、それに例えようもない気持ちの良さがあるという。
 不感症気味で鬱陶しかった夫婦の営みが、周昌院に来てからは楽しみにまで変わったという。
 性生活を日常的に体験して胎内記憶が蘇り、夢に鯨が出現すると快感に包まれる理由が分った。
 それは母親のセックスの快感が胎児にも伝って記憶に残り、出生後も胎内での記憶が残り、成人しても夢に現れると確信した。
 普通、性器に刺激を受けるとそこで快感を感じるように思われるが、実は脳幹から分泌されたドーパミンが快感の正体である。
 母親のドーパミンは、ホルモン情報として胎児にも同時に伝り、言葉で表現できない幸福感や全身の気持の良さとなるのだろう。
 役者の息遣まで分る特等席の子宮に陣取った胎児の彼女は、そこで性の饗宴を待っていたに違いない。
 しかし夢に鯨が現れるときの快感は、自分が性交渉で感じる快感とは大分違う。
 胎児は母親の快感のお裾分を味わい、そのまた記憶を出生後にドーパミン抜きの夢の中で再現するのだから、場末の映画館程度に色褪せ、気の抜けたビール程度になるのも当然だろう。
 そうと分れば、妊娠してからも性生活に余計な心配は要らない。彼女が夢で経験した幸福感や気持の良さを、胎児も待っているはずだ。
 だから妊娠しても、夫婦の営みは出産直前まで大手を振って続けられ、妊娠末期でも下腹部さえ圧迫しなければ、心配は要らないと喜んでいた。

 話のついでに言うと、井深さんが作った「幼児開発」での胎内記憶の研究でも、子供はたくさんの胎内記憶を証明している。
 妊娠中に、高層ビルの最上階から眺めた夜景の綺麗だったことや食事が旨かったことなどもある。
 いくらなんでも、腹の中で景色や味覚が分るのを怪訝に思われるのも無理はない。
 そこで、少しばかり理屈っぽい説明をするが、お許し頂きたい。
 人には脳幹がある。むろん胎児にも備っている。脳幹は、呼吸をしたり病気を治す等の、生存の基本的な指令を出している。
 脳幹の出すさまざまな情報の一つに、ドーパミン、アドレナリン、ノルアドレナリンがある。この三者で、喜び、怒り、恐怖などを感じている。
 性の快感は、性器で感じているようだが、実はドーパミンが出ることで感じている。
 三者の出される割合で、複雑な情報が胎児にも正確に伝えられているのだ。
 それでも、たった3ツのホルモン情報で、景色や味覚、感情までが分るなんてウソだと思われるが、テレビを見て事実を知ったと思うのと同じだ。
 テレビの映像は、光の三原色で情報を送っているから、画面の一部を拡大鏡で見ると三色が一面に拡がっているのが分る。
 それでも、無数にある三色の点だとは認識できず、点の集積体の画面を見て、顔や仕草の些細な変化を読取り、喜怒哀楽を享受している。
 だから、三種類のホルモン情報で、森羅万象が胎児に伝られても不思議はない。
 俳優、加東大介の孫は、妊娠中の母親がプールに出かけ、泳ぐよりも飛込むことが多く、それが楽しかったと言っている。
 
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