とりとめもない話の連続に終ったが、ただ思いつくままを書連ねたわけではない。
あなたが具体的に知りたいことは、何をどうしたのかであると重々承知はしている。さりながら、思うところがあり、あえて伏せている。
それでも、自然治癒力がどんなに頼もしいものか、発想の転換が途方もなく大きな収穫をもたらすものか、それが分っていただければ私の目的は達せられたと思っている。
はじめに述べたように電気科を卒業しただけの者が、確定診断のついた難病を簡単に治している。
それらのうち代表的なものを、なんの脈絡もなく披露しているかのようにみえる。
しかし、以上の話には「共通の因子」が含まれている。「私の言いたいことは別にある」と言ったのも、そのことである。
あなたが知りたい、仕掛けの具体的な説明はないが、治ってゆく有様から、おおよその推量はできるはずだ。
以上の様々な話に共通するものは、他人の真似は一切ないことと、徹底したローテクノロジーと言うより、原始テクノロジーにある。だから見方によっては、おまじないのオンパレードになる。
五百年も昔の生活を想像すると、医学の名に値するものは無きに等しかった。それでも、疫病(伝染病)で落命する人を除けば、七八十まで生きながらえることは珍しくなかった。
一生の間には、多くの病に遭遇していた筈だが、それらを乗越られたのは、自然治癒力の賜物であったことは間違いない。
ましてや現代なら、伝染病は存在しないも同然の生活環境であり、自然治癒力さえ十分に確保できれば、医者通いが日課の生活にはならないと思う。
自然治癒力の確保なら、おまじないにも等しい配慮だけで十分で、それでも病気が治っている。
それが指環やネックレスのちょっとした加工であったり、金属バンドの腕時計に外見上気づかれないほどの仕掛だったりする。
人がなんと思おうが、それでも治った事実は厳然として存在するから、私は毎日を楽しく過している。
視点を変えれば、全く別の世界が開けるのに、どうして他人と同じ手法の研究をするのだろう。
確かなことは、同じ手法を採れば必ず競争相手が居る。その競争が楽しくて、他人と同じ視点を求めているのだろうか。
研究や競争は手段であり、目的や結果ではない。目的や結果を求めることを第一義に据えれば、自ずと視点も変り、得られる果実もオイシイものがいっぱいあるのに。
町工場の経営者だった井深大さんが、海のものとも山のものとも知れないトランジスターに飛びつき、ソニー発展の原動力になったことに誰も異論はない。
電源がないのに聞こえるラジオと言っても、信じて貰えないが、初期のラジオは「鉱石ラジオ」と称し、鉱石の表面を針金でつつき回し、レシーバー(イヤホン)で聞いた。井深さんもその一人で、むろん電源はない。
電池がなくてもラジオが聴けるのだから、「トランジスター=電気で駆動する鉱石」に、真っ先に井深さんが飛びついたのは、感性以外のなにものでもない。
世間では、真空管時代からトランジスター時代に移行したと言うが、井深さんに限り鉱石からトランジスターに発展したと思っている。
世界中が、ケータイやコンピューターに依存する生活を送っているのも、トランジスターのお陰だ。
もし、真空管のまま時が過れば、ケータイもコンピューターもない全く別の世界になっていたはずだが、それがどんなものか、あなたは想像できますか。
研究姿勢でもっとも大切なことは、多様性の中から同一性の発見を心がけることにある。
同一性さえ発見すれば、すでに研究の峠は越え、後は収穫あるのみと言って過言ではない。
閃きの多くは、多様性の中から同一性の発見とほとんど同時に得られ、想像だにしなかった異次元の世界の展開がはじまる。
ともすれば、多様性や細分化に目を奪われがちになるが、それでは差違にばかりに目が移り、問題を複雑多様化させるだけで、同一性の発見からは遠ざかるばかりだ。
一見して研究が行き詰まったかに見える時でも、同一性さえはっきり掴んでいれば、遅かれ早かれ出口(ブレイクスルー)は見つかる。
個人的な考えで恐縮であるが、1台がなん億円もする装置がなければ研究が出来ない分野では、研究テーマの盛りは過ぎ、もうあまりオイシイものは残っていないと思う。
これと同じことを、光ファイバー産みの親の西沢潤一先生、井深さん、丸山ワクチンの丸山先生も、口を揃えて言っている。
人跡未踏の地で珍種の大群落を見つければ、なん億円もの費用で苦労することもなくお宝を独占できるのに、後から押しかけては苦労が多い割に収穫が少ないことに似ている。
そんな視点から、お読みになられた拙文を思い返していただければ、研究の面白さや楽しさがお判りいただけると愚考する次第である。
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