宝の山 その1

目 次

1. 結核ワクチン

2. 味方の眼も欺く

3. この指とまれ

4. 異説

5. 丸山ワクチンの作用機序1

6. 英訳・丸山ワクチンの作用機序

7. 丸山ワクチンの作用機序2




在りし日の丸山千里教授



定年退職記念パーティでの丸山先生ご夫妻


 ソニーの創業者、井深大さんは、私の開発のプロセスを、まるで我ことのように強い関心を持ってくださっただけでなく、研究進度の早さにも驚かれた。
 その時点では、極微な生命情報を正確に読取るラジオニクスの存在を私はまだ知らなかったが、私のような孤立無援の研究者が、天下のソニーの創立者に高く評価されたのは、研究手段にラジオニクスの手法を採入れていたからだと、井深さんが身罷った後に気付いた。
 現在も、末期癌や糖尿病に卓効を発揮する自然治癒力の研究をしているが、もし、その研究を医学部の常套手段に倣い、まずは動物実験で大枠を確認し、次に患者で効果を調べる手順で進めたら、五年十年の歳月はたちまちに過ぎ去るであろうし、その費用も莫大なものになる。
 ところが、私の手で研究が始ると、定性的な判定を手始に、あらゆる段階でラジオニクスの手法を用いるから、医学部や製薬会社で10年もかかるテーマが、3月もあればあらかたの調べは付く。
 その上、単に時間が短縮されるだけでなく、人体を介在させるラジオニクスで調べるから、効き目だけでなく同時に副作用の有無も確認でき、副作用が入込む余地もない。
 例を、現在広く使用されている抗癌剤に当てはめると、主治医は、効力は弱いが副作用は少ないと説明している抗癌剤でも、ラジオニクスの手法で定性的に調べただけで、効き目が全くなく副作用ばかりで、患者にとってプラスになるものは何もないと簡単に答が出る。
 効き目がなく副作用ばかりのものが、どうして薬と言えるのか首をかしげざるを得ない。それでも研究者には言い分や理屈はあると思うが、失うものばかりで得る物のない薬は、患者の側の評価では薬の名に値しない。

 自然治癒力をテーマとしながら、ここで丸山ワクチンを取上げるのは奇異の感がある。それでも、いま言わなければ、善良な多くの人が欺されて誤った選択をされると思い、真実に近い情報を伝えたいからである。

結核ワクチン
 昭和40年(1965年)から50年代にかけ、一世を風靡した癌の特効薬に丸山ワクチンがある。
 今日、肺結核の名を聞いても、治療に少しばかりの時間は要しても、必ず治る病気だと信じ恐れる者はほとんどない。
 時代を遡り、昭和30年(1955)以前になると、受止め方が一変する。
 私が子供の頃は、結核患者の家の前を通る時は、その手前で履物を脱ぎ、と言っても藁草履か下駄だったが、鼻緒に手を通し両手に持った。
 こうして裸足になれば少しは早く走れるからである。道路は砂利道で足は痛む。それでも結核菌で汚れた空気を吸わずに駆抜けたい一心なのだ。
 心の準備が整うと、深呼吸を四五回してから息を止め、一目散に肺病やみの家の前を駆抜けた。迂回路があれば、少しぐらいの不便は厭わずそっちを回った。
 これは子供だけでなく、大人でもその家は極力さけて通った。どうしても通らねばなぬ時は、そこを避けるように、道の端に身を寄せ逃るように通った。当時の肺結核は、聞くだに恐ろしい不治の病だった。
 今の時代は一様に癌を恐るが、癌は伝染せず発病の多くは中年以後であり、昔の肺病への恐怖心とは比べものにならない。二十歳前後に肺病に罹り、はかなく散った題材の小説も多い。若くしてその病に倒れた作家に、樋口一葉、正岡子規・・・ああ数え上げればきりがない。
 結核で家系が断絶した家も珍しくないほどの亡国病だった。そうした時代背景の中で誕生したのが丸山ワクチンである。


 丸山ワクチンは、はじめ皮膚結核の薬として開発され、昭和19年(1944)結核菌中の有害物質を完全に除去した、世界初の結核ワクチンである。
 それまでの結核研究の歴史と言っても、それは失敗の歴史であり、コッホ以来歴史に名を残した研究者のことごとくが敗退していた。
 しかし、丸山ワクチンに限り、結核だけでなく結核菌と同じ抗酸菌に属するハンセン氏病にも夢のような効果を上げた。
 昨今、少しばかり研究熱心な医学徒は、こぞって癌研究に従事するが、癌患者が少なかった当時(1950年以前)は、医学界の最大の課題は結核の克服であり、一見魅力的に見える結核菌の虜になり、医学の精鋭は競って結核研究に従事したが、見るべき成果を上げた者は一人としてなく、敗北の連続だった。
 「結核研究所」の看板を掲げているところは言うに及ばず、抗酸菌研究所も結核やハンセン氏病撲滅のための機関ではあるが、所期の目的を達成したものは世界に一つとして存在しない。
 そんな苦難の歴史に終止符を打ったのが丸山ワクチンで、この時点ですでにノーベル賞に値する大業績である。しかも難聴などの副作用は全くない。
 化学療法剤のパスやストレプトマイシンが結核の特効薬として登場したのは丸山ワクチンより後で、耳鳴や難聴の副作用がある上、半年か一年で耐性が現れて効かなくなる。
 これらの薬を丸山ワクチンと比べれば、横綱と幕下以上の格差を感じる。しかし時すでに遅く、ハ氏病も完全に抑え込まれ、「天刑病」と恐れられた恐怖心もなくなった。
 惜しむらくは、丸山先生に自己顕示欲がなく、慎重居士で世渡の知恵が働かず、後発でしかも二流の効果のストマイやプロミンに名をなさしめた。


 それでも愚徹の人・丸山先生は諦めなかった。やがて、進行期の結核やハンセン氏病患者には、癌患者が全く存在しない事実に着目し、万策尽き果てた癌患者にワクチンを試用して瞠目すべき成績を上げ、専門家の注目を浴びた。
 それほどに偉大なワクチンなのに、世間は癌に使うと副作用がなく痛みが消えたり延命効果のあるのが取柄で、治せないとの評価が定着したかに見える。
 幸いにして、私は先生の教授室だけでなく、自宅にまで押しかけ、入浸りの状態が長く続いた。
 教授室で見たレントゲン写真は夢のような成績であるだけでなく、無味乾燥なレントゲン写真を前にして、生地獄から救出された患者の悲喜こもごものドラマを織交ぜ、丸山先生直々に医学的な解説と共に次々に披露していただく得難い体験をもった。
 それらの写真の多くは、丸山先生とは師弟関係や利害もない、全国各地の病院や開業医が直接先生に手渡したもので、信憑性に一分のかげりもない。

 患者の中には、時の栃木県知事・船田譲氏もおり、虎ノ門病院で万策尽き果て、栃木県庁では葬式の準備万端を整え待っていた。
 父の衆議院議長・船田中氏は親の情としてそれでも諦られず、国会内で会う人ごとに、なにか手はないかと相談した。
 そのとき殆どの人が、判で押したように「丸山ワクチンを使いましたか」と聞返した。そこで自ら病院に乗込んだ。
 命は旦夕に迫っているが、主治医にワクチンを使って欲しいと頼んでも、ウンとは言わない。窮した船中(ふなちゅう)は、手詰の談判に出た。
 これは衆議院議長の頼みではない。親の子を思うが故の頼みだ、ぜひ使ってほしいと懇願しても頑是無い。
 そこで作戦を変え、「万策尽き果てたと言ったが、まだワクチンがあるではないか。ワクチンを使ったその上での万策ではないか」と詰寄ると、やっと医師も折れた。
 ワクチンを使い始ると、劇的なまでの回復が始った。十日も経つと船中から丸山先生に電話があり「お陰様で、倅は今日から院内散歩を始ました」と、弾んだ声で報告があった。
 更に一月もするとまた電話で、「倅は今日退院します。今夜は青山の拙宅に一泊し、あすは宇都宮に帰ります。本来ならば直接お目にかかり、お礼を申上げるべきと重々承知はしていますが、生憎の国会開会中で時間が取れず、かかる非礼の儀、なにとぞご容赦下さい」と、丁重な話しぶりだった。
 半年後には周囲が予想もしていなかった出馬で、知事再選を果した。
 この時ワクチンを貰いに来たのは、野球に関心のある人なら知っている「江川の空白の一日」のお膳立てをした蓮見実秘書官だった。
 こんな親子の情愛の滲む逸話などがいくつもあり、名士が随所に出没する目出度い話も多く、愉快に拝聴した。


 丸山先生は、功名心に駆られてなんのあてもなくワクチンを、癌患者に使ったわけではない。
 西武池袋線で、所沢の手前の秋津に、ハ氏病の施設多摩全生園(ぜんしょうえん)がある。
 先生はワクチンをここの患者に使うため、昭和22年から20年に亘り手弁当で毎週必ず秋津に通っていた。
 ある時、秋津のホームで電車を待っていて、結核患者に癌がなく、ハ氏病患者にも癌がないことに気づいた。昭和40年頃のことだった。
 待っていた電車に乗ると、次の清瀬で降りて東京療養所に向った。当時の清瀬は、結核の研究所や療養所が群がる一大結核村だった。
 東京療養所で事情を説明し、ここで亡くなった千四百名余のカルテから、死因を調上げた。
 そこで分ったことは、癌で亡くなった者はただの一例もなかったことだった。つまり、結核菌が体内で暴れていれば、癌にはならないのだ。
 それに対し全生園では、六百名ほどの記録が二つに分れ、昭和35年以前は癌患者は全くなかったが、それ以後は国全体の死因に占める癌の比率と変らなかった。
 この意味するものは、昭和35年ころには治癩薬プローミンなどの登場で癩菌は存在しにくくなっていたのだ。
 ただ病気が病気だけに社会が受入れず、元患者だった人も全生園で暮していたのだ。

 そこで、癌患者にも結核ワクチンの試用を思い立った。しかし日本人には、皮膚癌は殆どない。やむなく、癌のように悪性ではないが、癌と同様に細胞の異常増殖であることに変りはない、イボや赤鼻を対象に使い、ワクチンの効果をじっくり確認し、次第に癌患者にも使い始めた。


 私にも忘れられぬ思い出がある。昭和41年頃、顔全面に大小無数のイボがあり、重度の歩行障害のある女性を旅先で見た。
 東京には丸山ワクチンがありタタ゛で使えるからと、上京を勧めた。30年後、彼女の明るく元気な姿が、テレビのニュースでズームアップされて映っていた。
 字幕に名前が出たからあの時の人だと分ったが、それがなければ気づかなかった。それほど完全にイボは消滅していた。


 分け隔てなく応対することでも、丸山先生は有名である。廊下で小使さんとすれちがっても、立止って丁寧に挨拶するのは、日本医大の日常風景である。
 この時、小使より学長の丸山先生の方が頭が低いと、日本医大では有名だ。そんな丸山先生にも例外がある。
 ワクチンをもらうため、廊下で長い行列を作って待っていると、それを縫うように丸山先生が通りかかったとき、名前の読上げが始ったた。
 その中に、「木戸さん、木戸幸一さん」の名があり、「中に入ってお待ち下さい」と告げた。
 まさかとは思ったが、立止って確認すると、紛れもない本物の木戸元内務大臣だった。
 木戸氏は、日々陛下のお傍でつとめ、終戦の直前には、御前会議のお膳立をした。
 原爆投下を知ったソ連は、火事ドロをねらって、宣戦布告した。早く終戦に持込まないと、北海道を取られることは目に見えている。
 陛下の意を体し、鈴木貫太郎首相、米内光政海軍大臣、阿南惟幾陸軍大臣、東郷茂徳外務大臣を宮城(皇居)に招き、御前会議を開いた。そのときの根回役が木戸さんだった。
 8月14日にはご聖断がくだり、翌15日には「・・・・耐ヘ難キヲ耐へ忍ヒ難キヲ忍ヒ・・・」の、終戦の詔勅となった。
 参考に、その前後を少しだけ紹介する。
 ・・・戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃(たお)レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五大為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙(こうむ)リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生に至リテハ朕ノ深ク軫念(しんねん)スル所ナリ惟(おも)フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固(もと)ヨリ尋常ニアラス爾(なんじ)臣民ノ衷情(ちゅうじょう)モ朕善ク之ヲ知ル然(しか)レトモ朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所
耐ヘ難キヲ耐へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス・・・
 実に簡潔で、要を得た文章である。

 本題に戻る。
 丸山先生は木戸さんを、自分が担当する席の最前列に案内して、若い事務の女性に「この方は大切な方だから、お待たせしないようにして下さい」と指示し、診察券に先生の手でその旨を書込んだ。
 事務の職員には木戸さんが何者かも分らず、事務的に処理したが、以後は必ず最優先で先生が応対していた。

 一方、あのワクチンは効かない、と言う医者が多いのも事実である。そこで、その人達に訊きたい。「丸山先生の指示通りに使いましたか」と。
 丸山先生の指示では、ワクチンのアンプルが入った箱の中に、ワクチン使用期間中は抗癌剤や放射線療法との併用は避けるようにと、使用法を明記した紙が入っている。
 しかるに、この指示を守る医者は少ない。指示に従えば夢のような結果が得られ、命の恩人と感謝されるのに、なぜかそれを守らない。
 一方の劇的な効果を報告する医者は、先生の指示を堅く守っていること今更説明を要しない。
 余談になるが、抗生物質の進歩で結核は克服したかにみえたが、耐性の壁に突当たり、今後の結核治療は一筋縄ではすまされまいと医療従事者の誰もが思う。
 それに対し、ワクチンは耐性菌に感染した患者であっても効果はいささかも変らないし、耐性そのものが簡単に消滅し初感染に戻るから、忘去られた昔の薬でも効くようになる。
 耐性が消失することは、結核菌がヤワなものに変貌したとしか考えられない。 
 耐性の問題は結核菌だけに限らず、あらゆる感染症の前に立ちはだかっている。
 ついには抗生物質の頼みの綱である、タミフルまでに耐性菌が立ちはだかるようになった。
 そもそも、新薬の登場ペースより、耐性の現れるペースの方がずっと早いのだから、イタチごっこは永遠に続く。
 そうした今こそ、丸山ワクチンのフローシートを拝借してワクチンを作れば、文化勲章はおろかノーベル賞にも手が届くと思う。

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味方の眼も欺く
 丸山先生がまだ若かった戦前には皮膚科と泌尿器科はひとつの科で、皮膚泌尿器科と呼ばれていた。
 そのころの先生の研究テーマは、当時猛威をふるっていた性病で、淋菌を処理し検査試薬を作ることで、これが博士論文となった。その方法をそっくり結核菌に当てはめると、丸山ワクチンが誕生した。
 丸山ワクチンを作るに際しての最大の特徴は、培養した結核菌を「真水」に入れて煮出すことにある。
 この方法は、医学部や薬学部で学んだ者には、驚天動地の発想というべきもの以前の非常識である。ワクチンを作るなら、人の血液の塩分濃度と同じ生理的食塩水で煮出すのが常識でありイロハである。
 もし、真水に結核菌を入れたら、浸透圧現象で真水が細胞膜を通して菌の中に入り、菌を風船のように膨らませ、弾けて菌が壊れてしまうからだ。
 だから、誰もが生理的食塩水でワクチン造りをしているが、丸山先生だけは違った。
 真水で煮出すとどうなるか、手間も金もかからないから先ずは試してみた。結果は、連戦連勝の臨床成績が証明している。
 教訓 常識を疑え

 この方法は画期的なものであったらしい。そのため結核ワクチン以外にも、様々なヒットを生んだ。
 先生は、実兄の東大教授・松原正香氏から手術で切除した癌の組織を分けて貰い、これを丸山ワクチンを作る手法で処理すると、結核菌で作ったワクチンと同様に癌に効いた。
 そこで一時は結核菌から作ったものも、癌から作ったものも、どちらも「癌ワクチン」と称して煙幕を張り、手の内が他の研究者に分るのを防いだ。
 これで皮膚科の原田誠一助教授や私も含め、まわりの者全員がこのトリックに引っかかり、結核ワクチンは結核菌から、癌ワクチンは癌の組織から作ったと思込んだほどである。
 このように結核菌でも、癌から作っても、癌に対して同じ効き目があるから、結核用に開発したワクチンのほうが、原料入手が容易なため、今のワクチンとして残った。
 同じ筆法は、ハンセン氏病にも適用された。結核菌とライ菌の性質は極めてよく似ているが、決定的な相違は、結核菌が培養可能なの対し、ライ菌は培養できないことだ。
 先生は、ハンセン氏病のワクチンを作るに当り、原料入手のためハ氏病治療施設・多摩全生園に赴き、患者に頼んで結節部(患部)からカサブタを採取させてもらった。
 このカサブタが、天然のライ菌培養器と見て、結核ワクチンを作るときと同じ処理をカサブタに施し、ライ治療のワクチンを作った。
 カサブタから作ったワクチンの効果も、結核菌を原料としたものと差がないため、培養可能な結核菌から作ったワクチンが、ハ氏病にも使われていた。
 丸山ワクチンの守備範囲は驚くほど広いため、院内感染で問題になる耐性菌対策も、丸山ワクチンのフローシートを参考にワクチンを作れば、すぐに出口が見つかると思う。

 ハンセン氏病は、結核よりはるかに恐れられた病気である。有名な小説に、北条民夫の「命の初夜」がある。
 私の経験でも、昭和36年4月に就職試験用の診断書を貰うため、肺結核の手術で鳴らしていた日大板橋病院の宮本忍外科の廊下で診察を待っていると、30代の男がゴム長靴を二ヶ月の余も昼夜の別なく履き通した生活していたと言い、その長靴から発する悪臭は長い廊下全体に充満していた。
 名前を呼ばれると、一段と強い悪臭をまき散らしながら診察室に入って行った。
 間もなく、中で待っていた患者が血相を変え、先頭のおばあさんは心はせいても足は思うように出ず、手を前にのばし宙を泳ぐような格好で出てきた。後に続く人達も雪崩を打って飛出して来た。
 最後に看護婦が現れ、「ライ、ライです。出て下さい」と言うより早く、廊下で待っていた人達は一斉に立上がり、口々に「大変だ」「どうしよう」「今日はダメだ」「帰る帰る」などと血相を変え立去った。
 この騒ぎは瞬く間に廊下で待つ他科の受診者全員に伝り、一分もたたぬうちに長い廊下には空いた椅子だけがずらっと並び、傍観者の私だけが残っていた。
 当然ながら、この日は宮本外科が閉鎖しただけに止らず、宮本外科のあるフロアーすべての科は開店休業になったはずだ。
 この当時の私は、丸山ワクチンがあればライなにするものぞと心得ており、人々の狼狽のありさまを観察し最後に立去った。
 ハ氏病治療薬プロミンが出来、療養所の患者のあらかたは治りながらも、社会の受入れが困難な時代であったため、現実に生身の患者が現れればこの騒ぎで、ハンセン氏病がどんなに恐れられていたかが分って頂けると思う。


 ところで、丸山先生と松原先生は、血を分けた兄弟ではあっても、研究者としてのライバル意識は極めて強く、結核菌から作ったワクチンを癌に使う、学問的に大切な部分は徹底的に伏ていた。だから、兄の松原先生より先に私に手の内を教えていただいたこともあった。
 その一方、松原先生も丸山先生からワクチンの作り方を教わり、その方法を癌の組織に適用してみると、ツベルクリン反応のように癌に反応する検査薬となって、これを松原のガン反応(MCR)と称していた。
 こうした経緯があるワクチンだからその応用範囲は広く、MRSAの問題にも案外簡単に適用できると密かに期待している。


 昭和40年前後のこと、新宿鉄道中央病院に勤務する36歳の看護婦が子宮癌になった。癌は肺と腰椎にも転移し、余命数日となったが、家族の強い願いで丸山ワクチンを使うことになった。
 数日すると酸素テントは不要になった。本来なら、死んで外す酸素テントが、肺の機能が回復して酸素補給が要らなくなった。
 一ヶ月を過ると、他人の助けもなく足を動かした。実は、腰椎ー分り易く言えば背骨の腰の部分の骨は、一つは完全に溶けて消失しており、もう一つの腰椎も斜め45度の角度でほぼ半分が溶けていた。だから足が動かなかった。
 レントゲンを撮ると、腰椎は完全に復元していた。三ヶ月後には院内散歩が出来るようになり、ワクチン開始から半年後には職場復帰を果たした。
 肺結核の場合、一般の治療法で治ると空洞が石灰化して固ることを意味するが、ワクチンなら肺が再生、復元して治っている。複雑な形状の腰椎が癌で溶けても、再生し完全に復元している。また、神経ライでも、運動機能が回復している事実は、
自然治癒力は偉大な再生力と復元力をもっていることを証明している。
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 この指とまれ
驚くなかれ、霊験はまだまだある。結核患者に丸山ワクチンを使えば、抗生物質で治す五分の一、十分の一の期間で完治し、破壊された肺が完全に再生する。こんな芸当の出来る薬は丸山ワクチン以外にない。
 対する化学療法では、進行を止め患部を石灰化させて固めるだけだから、結核菌で破壊された部分の肺の機能は失われたままなのに。
 機能が回復するのは結核だけではない。ハ氏病でもワクチンなら早く治るだけでなく、関節が意のままには動かない運動機能障害、痛覚がなく怪我や火傷を誘発する知覚障害、夏場の日中に体温調節が出来ず、ベッドの上で人知れず気絶する灼熱地獄の発汗障害なども回復する。


 今日では、丸山ワクチンは癌の特効薬としてあまりにも有名になったので、AとBがあり、A休B休A休B・・と一日おきに使うと思う人が多い。
 これは癌の場合だけが特別で、ほかの病気では週に一度しか使わない。
 癌治療の場合を別にすれば、週に一度、1ccを皮下注射するだけですみ、使用法は至って簡単で、それでいてあらゆる病気に対応している。

 ハ氏病の機能回復話のついでに言えば、私もハワイで、この病でかなり重度の運動障害をもつ人を、私のおまじない程度の方法で即座に治してあげ、大いに感謝されたことがある。


 余談の余談になるが、顔面播種状粟粒性狼瘡(がんめんはしゅじょうぞくりゅうせいろうそ)とか、尋常性狼瘡(じんじょうせいろうそ)という厄介な皮膚病がある。
 丸山ワクチン登場以前は、治療法もなく結核の仲間にも入れられなかった。
 しかし、患部の組織を顕微鏡で観察すると、結核菌は全く存在しないのに、結核菌に冒されたとき特有の病変がある。
 だから結核治療薬の抗生物質は、全く効かず治せない。こうなると自然治癒を待つしかないが、十年以上の歳月を要する例はザラで、生涯に亘って病を持続ける覚悟が要る、むろん結婚はできない。
 そうした患者に丸山ワクチンを注射すると、全例が数ヶ月でケロイドも残さず治る。
 そこで丸山先生は、これらの病気は結核菌アレルギーと断定して、日本皮膚科学会もこの説を認めた。それも戦後間もない、昭和23年頃のことである。
 これに類する病気には脛(すね)の外側に左右対称の円形のくぼみができるバザン氏硬結性紅斑や、顎の角のあたりや耳たぶの下のあたりにできる皮膚腺病(るいれき)などがある。
 これらの病気は、患部の組織に結核特有の病変はあるが、結核菌は存在せず、結核菌に最も冒されやすい臓器の肺や腎臓のレントゲン写真には、いささかの影もない。
 結核菌がなければ抗生物質が効かず、丸山ワクチンだけが頼りである。
 これらの病気の場合も、週に一度の皮下注射で事足りている。

 他所の大学病院が、皮膚結核の延焼を食止めるだけでも手を拱いているのに、丸山皮膚科教室ではワクチンの威力の余勢を駆り、皮膚結核で鼻全部や小鼻が溶けてなくなった患者の修復手術を手がけ、ついには日本で最初の形成外科の看板を上げた。
 ここに手術の上手い文入(ふみいり)正敏氏を初代の部長に据え、火傷や交通事故で見るも無惨な顔を跡形もなく修復している。

 ガリレオや丸山先生は、時代に先駆け過ぎた登場ゆえ、正当な評価もなく非難ばかり浴びてた。
 それに引替え、トランジスタを引っ提げ、絶妙の機に登場した井深さんは、天佑と言う外はないと、面と向かって井深さんに言うと、我が意を得たりの表情で素直に頷いておられた。
 
 脱線が過ぎるようだが、膠原病(全身性、顔面性のどちらも)、リュウマチ、喘息にも、丸山ワクチンはよく効く。
 このような有り難い薬を、医学界の下らぬ感情やメンツだけで葬り去ったことは、惜しみて余りある。
 膠原病のごときは、昭和23年には丸山ワクチンによる治療法が確立し、半年以内に全ての患者が完治している。
 それでも丸山ワクチンと聞いただけで目の敵にするとは、医学界はどんな料簡の輩達が牛耳っているのか、外部の者には想像も付かない。

 B.C.G.潰瘍を結核治療薬で治せば、潰瘍が治ってもせっかく陽転したツベルクリン反応が陰性になり、接種が無駄になる。その上、ケロイドが残る。
 ところが丸山ワクチンでは、一月ほどの短期間で潰瘍がきれいに治るだけでなく、ツベルクリン反応は陽性のままである。


 丸山先生は、昭和39年3月、20年に及ぶ結核ワクチン研究を集大成した論文を、日本皮膚科学会誌第74巻 第3号の139〜180頁に発表した。
 題名は、「結核ワクチン(結核菌体抽出物質)による皮膚結核症,B.C.G.潰瘍,実験的結核症及び癩の治療に関する研究」で、丸山千里ほか九名の連名になっており、内容は研究過程や治療効果は言うに及ばず、丸山ワクチンを作るフローシートまで公表している。
 大学病院が割拠する本郷界隈には、医学書専門の古本屋がたくさんあり、ここの古本屋を軒並み覗いて驚くべき発見があった。
 日本皮膚科学会誌のバックナンバーを探したが、丸山ワクチン論文の号だけが欠落しており、遂にどこの店にもなかった。
 口ではあんなもの水みたいなものとは言いながら、論文を密かに読んでいたのだ。丸山ワクチンへの並々ならぬ関心のほどがうかがえる。


 約170種類にのぼるワクチンの中から四種類に大別したフローシートのうち、最後に残ったものは、人型結核菌を四週間かけて培養し、真水で煮出して3回または4回遠心分離器にかけて、アルコールには溶けず水に溶ける成分を抽出するだけの、比較的簡単な操作のように見える。
 一瞥して簡単なもだけのに、それに20年もの歳月を要したことで研究の苦難が偲ばれる。
 蒸留水一つにしても、出来合いのものは使わず、全量を先生自らの手で作ったものだけを使ったし、そうしないと治療効果が上がらなかった。
 遠心分離器も、少しでも時間をかけると温度が上がり、一旦は分離したものがまた混ざり合うため短時間の使用に留めた。
 防腐剤のカルボール(石炭酸)も、昭和35年に通産省の通達で国産品の使用を義務づけられ、そのために一時的に酷い成績になったことがある。
 そこで、国産のカルボールを水に溶いて加熱して結晶を取出すことを繰り返し、再々結晶にしたものを使って難を逃れた。念には念を入れる丸山の面目躍如である。
 肉眼ではきれいな国産カルボールが、結晶を取出すと残滓に茶褐色の不純物がいっぱい混じっており、これがワクチンの効き目に重大な影響を与えていたのだ。
 今でこそ世界一の工業国と自他共に認めても、東京オリンピック以前の技術水準は一流の下程度だった。
 上記の論文発表以後は、結核ワクチンによる癌治療に邁進した。

 以下に述べることは、私の丸山ワクチンの作用機序であるが、日本最古の癌専門の研究所で知られる「佐々木研究所」の病理・臨床病理部長・佐藤博先生と川崎医大病理部長の木本哲夫教授は、この独断と偏見に基づく仮説に全面的な賛意を寄せた。
 ことに、佐藤先生からは、貴重な作業仮説ですとのコメントまでいただいた。
 その作用機序説の中で、「癌は結核菌過小症」とも言えるのだから、B.C.G.も適量であれば援軍であると述べた。
 いくら援軍だとは言っても、その昔、丸山ワクチンの向こうを張り、B.C.G.接種の10万倍もの量をいきなり30人の末期癌患者に飲ませ、対象者の全員が全身の粟粒結核に罹り、瞬く間に全員が玉砕した例があると、医者から教えられた。
 基礎実験もせず、癌で弱り切った患者にかかる大量の毒を飲ませるとは、大物教授ともて囃されていようとも、俗物の功名心に駆られた暴挙と言うほかなく、参考にもならん。
 むろん、学会に発表しなかったから、40年も過ぎた今となっては誰も口にしない。
 一見不名誉な話でも、滅多に得られない貴重なデータである。また医学研究の尊い礎となられた30人の死は決して無駄ではなかったとの思いで、御霊に少しでも報いるべく、敢えて書き残す次第である。

 余談はさておき、丸山ワクチンやB.C.G.のアンプルを、癌患者の手に載せてラジオニクスで調べると、一瞬にしてよく効くと答えてくれる。やはり「癌は結核菌過小症」であるようだ。
 しかし問題は、B.C.G.の投与量と間隔にある思う。10万倍は論外だとしても、丸山ワクチンの濃度と効果から類推すれば、予防接種に使うB.C.G.の2〜3倍くらいの量が限度ではないかと、素人の感覚でも常識の範囲内としておおよその見当ぐらいは付く。
 また接種の間隔は、膿が消えかかる頃に次の接種をすればいいと思う。
 ちなみに、丸山ワクチンAの濃度は一ガンマ(百万分の一グラム)と、信じがたい低濃度である。Bはさらにその十分の一だ。
 丸山先生のよき理解者の一人であった東大薬学部長・水野伝一教授は、どんなによく効く薬でもミリグラム単位である。それなのに、難敵ガンに立向かうのにミリグラムの千分の一で効くのだから、感覚的に理解できず困ると言った。
 これほど微量でも、信じられない速さで癌が縮小し消滅する威力がある。しかもワクチンは、皮下注射したものが全身に行届いて効果を発揮しており、患部の癌に薬を届けて効くのではない。抗癌剤や放射線療法との決定的な違いはここにある。

 丸山ワクチンの保管は常温で、注射は、皮内、皮下、筋肉、静脈、動脈または患部のどこに射っても効果に差はない。従って最も簡単な皮下注射で済むし、保管も室内でよい。
 上記のことから素人の独断と偏見になるが、ワクチンは直接癌には作用せず、情報物質として脳幹に届き、脳幹がワクチン情報にもとづいて適切な治療指示を出すのではなかろうか。
 その脳幹の指示が適切であるから劇的に効き、副作用が全くないと愚考する。
 もし標的を脳幹に絞って情報を送れるなら、百万分の一どころか一億分の一グラム以下でも、十分治療効果が得られるのではないか。
 現在の西洋医学の研究現場には、ラジオニクスやそれに類する測定方法はない。
 もし、ラジオニクスが定性試験の一部分にでも採り入れられれば、患者がひとしく恐れる強烈な副作用の抗癌剤は、研究段階で葬り去られるだろうに、全く罪作りな研究体制であると思わざるを得ない。
 丸山先生が脚光を浴び既に40年が過ぎたが、丸山ワクチンにまさる癌治療薬は今も存在せず、暗中模索の日々が続いているのに、どうして丸山ワクチンを認めようとしないのか。



 丸山ワクチンの評判がいよいよ高まった昭和50年代前半、元厚生大臣の園田直、衆議院議員の草川昭三、菅直人らが音頭取になり「丸山ワクチンを早期に認可する会」を結成し、衆参両院代議士650名余の署名を集め、超党派で閣議にかけ承認された。
 それでもワクチンは葬り去られた。よく言うように、医学界は伏魔殿である。
 ことに、癌患者個々の問題になると、再現性がないことを幸い、やりたい放題の観がある。

 小学生で奈良の陶芸家の息子さんは、脳腫瘍で万策尽き果てたが、父親は諦めきれず、担当の放射線科の医師に丸山ワクチンの使用を懇願し、不承不承ながら承諾を取付けた。
 ワクチンを使い始ると、腫瘍は急速に縮小し消失した。無論復学し、以前と変わらぬ生活に戻った。
 ところが腫瘍が縮小、消失した写真を基に、ニューヨークの学会で発表した論文のタイトルを見て、丸山先生も私もあきれ果てて沈黙した。
 曰く「脳腫瘍における放射線療法の遅発効果について」で、丸山ワクチンの使用は一言もふれてない。手紙には堂々と、ワクチンの使用は伏せてありますと書いてある。これでは、丸山ワクチンの効果を、放射線療法の効果だとすり替えただけではないか。
 これが旧帝大医学部のすることか、言うまでもなく科学は再現性があるから第三者も納得する。これを破廉恥行為とも思わない神経に呆れる。
 だから論文には都合の悪い事実でも述べる。これは研究者共通のルールであるし、それで論文の価値も高まる。これではなんのための研究で、論文公表の意義もない。
 癌に関する日本の論文は、海外での評価は低いと仄聞していたが、この論文でその意味が分った。
 かかるインチキ論文を、こともあろうに丸山先生に郵送するとは、厚顔無恥もここに極まれりである。
 重ねて言う、研究者の名誉は永遠である。むろん不名誉も。だから時効はないし、閻魔帳にもつけられるだろうから、冥土への土産の先渡しだ。


 昭和40年当時、癌の手術で最も難しいとされた食道癌の手術にかけては世界一と称されていたのが、女子医大の外科部長中山恒明教授だった。
 その中山先生が、丸山ワクチンのことを知りたいとの要望があり、小松製作所会長の河合良成氏の肝いりで両者の対面が実現した。
 丸山先生は銀座の中山メディカルクラブ、人よんで「中山ガンクラブ」に参上し、鞄持は私が務め大層重かった記憶が残っている。
 資料の大半は食道癌のレントゲン写真で、30例ほどを持参したが、シャーカステン(レントゲン写真を見るための装置)で5例ほどの写真を見ただけで、天下の名医も言葉を失った。
 中山先生が席を外した間に「この患者の場合、中山先生ならどのような処置をとられますか」と、丸山先生がシャーカステンを指して訊ねると、2人の助手の先生の答は意外なものだった。
 中山先生でも手術できる対象は限られ、「癌が1つしか無く直径が2センチ以下であることが条件」だという。
 その上で持参した写真を指して「この患者の癌は2つあり、上の癌は上下の幅だけで5センチもありしかもドーナツ状態のリングになっており、中山先生をもってしても助る見込みはなく手術対象外です。それに食道の下部にも2センチもある癌があり、手術しません。リング状になって全周に及んでいると、癌の大小に関係なくお手上げです」と、あっさりしたものだった。
 それほどの癌でも、ワクチン使用開始2週間後には下の癌は消滅し、2ヶ月後にはドーナツ状の癌も跡形もなくなっている写真だから、鼻っ柱が強いと評判の中山先生が沈黙するわけだった。
 さらに付け加えて、食道癌以外の癌でどの癌にも当てはまることだが、助かる条件は「癌が1つしかないことと直径が1センチ以下」であることで、それ以外のケースになると、手術だけでなく抗癌剤や放射線でも治せないとのことで、これが癌専門医の常識であるという。。
 しかるに、マイトマイシンC、5FU、エンドキサン、ナイトロミンマスタードなどが50年後の現在も、癌治療の主力として使われている。それでもなお医学は急速な進歩を遂げていると言うが、これでは呪文だとしか思えない。
 誰がなんと言おうが、丸山ワクチンに関し私の思いはいまも変らない。「それでも地球は回っている」と。

 昭和三十九年の癌学会総会で、「癌を薬だけでどれだけ治すことができるのか」との発表が、大阪の朝日ホールであった。学者の関心も高く、会場は大入り満員であった。この研究は、全国の旧帝国大学医学部の共通研究テーマとして、一年間をかけて実施した結果である。
 この頃は、健康保険制度が今日のように整備されていなかったから、高価な癌の薬を自費で賄っては、患者の経済力で使用法が異なり、正確なデータの収集ができない。
 そこで、この研究テーマの対象になる患者については、大学は入院費や治療費を全額負担し、製薬会社は、この研究用の患者に薬については、大学の要請するだけの量を無条件で全量を無料で供出することにした。つまり、患者の経済力や、治療技術水準がデータを左右しないようにして、研究に理想的な条件を作った。
 対象になった患者は、重症のケースもあれば、軽症もあり、癌の部位も各種雑多であり、癌の種類も当然多岐におよんだ。
 使用した薬は、マイトマイシン、エンドキサン、5FU、ナイトロミンなど、平成20年の今日でも抗癌剤の主力として用いられているもので、この発表以後に登場したものは、ブレオマイシン、ピシバニール、クレスチン等があるが、これらの薬は、副作用だけは一人前に強くても、効果がサッパリないことで定評があるから、この際は考慮の対象外としても誤りはない。
 研究の対象になった患者の総数は2938名であり、統計学的に完全に信頼出来る分母の大きさである。ところで、肝心の研究成果のほうは、たった二例の治癒例があっただけで、残る2936例は無効だった。文字通り、金に糸目をつけず、最高の医療スタッフで取り組んだ結果がこのありさまだった。
 その二例の有効例も、いづれも頸部リンパ節の癌(手に触れてすぐに分るので、早期に発見ができる)だった。勿論、五年後の生存率で評価する遠隔成績はでていないから、その後生きているものやら亡くなったのか定かでない。
 そもそも、学会の役割はなにか。こうした結果が出れば、「学問的に結論が出た」と判断し、研究の方向転換を指示するのが座長や学会のお偉いさんの役目である。事実、欧米ではこの頃を境に癌を薬で治すことを諦め、薬の使用量を日本の千分の一程度に落とし、癌の成長を遅らせたり転移を防止する延命策に方向転換しそれで成功した。
 この時の判断ミスで、日本の癌治療が世界の水準から決定的に遅れ、世界的な孤立の素となったが、未だに改められない。人命に関わるものだけに、バブルの不良債券処理よりも始末が悪い。
 これも丸山先生から聞いた話だが、まだ続きがある。発表の翌日、ホテルから各分科会へ向かうため、ホテルのタクシー乗場では、同じ目的の分科会に向う人は誘い合い、相乗で会場に向った。丸山先生と乗合せた先生は、その当時の、東大小石川分院の内科部長、手っ取り早く言えば、癌を薬で治す専門家であった。
 二人の話題は当然のこと乍ら、前日発表された研究成果になった。その時の内科部長のコメントは、「旧帝大といえども、三千例も手がければ多少の誤診はあっても当然。治った二例は誤診だと思う」と手厳しいものだった。
 これが専門家の率直な意見である。この東大の先生も、話している相手が間もなく世界の癌学界に激震をおこす丸山ワクチンの丸山千里であるとは、その時は気がつく由もなかった。そして、おそらく今も、そんなことがあった事さえ忘れていることだろう。

 以上丸山ワクチンについて延々と述たが、丸山先生のナマの論文を紹介して終る。先生の持論は、どんな専門的分野の論文でも、原理原則については誰にでも理解できるように書くべきだと言っておられた。
 そこで先生の声がよく伝っているホームページを紹介する。

http://www.ssm-cancer.gr.jp/archives/001/index.html

(上記URLをクリックすると閲覧できる)


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異説
 筆者の出身は、日本大学理工学部電気工学科であるが、学問研究の師は全く別で、日本医科大学皮膚科教授で学長も務めた丸山千里先生であり、押しかけ弟子である。
 そこで、先生に教えていただき、座右の銘となった言葉は限られる。
 その一は、「物置の中でも研究は出来る」である。これは免疫学者、エールリッヒの言葉であるが、研究に大切なのは着想だと勝手に解釈している。
 その二は、「現象が全てであり、理論は後からついてくる」だ。
 湯川英樹や朝永振一郎の中間子理論や超多時間理論、繰込理論は、ノーベル賞受賞の翌々年の、日本物理学会総会で完全に否定された。
 二人は、理論式と実験結果の矛盾のつじつま合わせに、中間子理論や超多時間理論、繰込理論を作った。
 ノーベル賞受賞の翌年には、日本物理学会は一年後までの宿題とし、翌年の総会では両者の理論は否定され、別の理論式で実験結果が不都合なく説明でき、現象に忠実に従うことの大切さを立証した。
 その三は、「まったく新しい理念で始めた研究は、新理念の要素を盛込めば、針金細工のように粗末なものでも、それまでの常識を覆す結果が出る」だった。
 私の研究に、理論も他人の真似も一切ないのは、先生のこの教えにある。
 世はナノテクノロジーでなければ新技術にあらずの風潮であるが、私の研究は肉眼ないしは五感テクノロジーばかりだ。
 それでも癌や糖尿病の克服とか工作機械の性能の向上など、ナノテクが束になっても歯が立たないまでの成果を得ている。

 丸山ワクチンはさまざまな難治病に効くうえ、副作用がなく使い方も簡単であるが、一つ泣き所がある。
 昭和30年前後、ピエロのように鼻が大きくなる赤鼻の女性の患者が、福島県郡山から治療のため週に一度の通院をはじめた。
 一ヶ月を過ぎても病状に変化はなく、先生は患者に「お酒を呑みますか」と訊ねた。下戸(げこ)の先生は、女性の飲酒を考えてもみなかった。
 患者の返事は、「寝酒を飲みます。なにぶんにも郡山は寒いところですから」との返事だった。
 そこでワクチンを使っている間は、酒を断った。効果てきめん。一ヶ月後、赤鼻は消失した。ワクチン使用中の飲酒は、厳に慎まねばならぬ。
 丸山ワクチン騒動が頂点に達した時、随筆家の山本夏彦は「丸山は有徳の君子人である」と称え、作家の今東光は「ここに人あり」と評した。
 患者諸兄に告ぐ、君子の薬とつき合はば酒な呑みそ。


 ラジオニクスの片鱗とおぼしきものを知ったのは、昭和56年(1981)だった。その少し前の昭和54年から、健康雑誌で3回にわたり不肖が紹介され評判になった。
 この機会を捉えて全国から同志を募って、年に一回「周昌院研究会」を開催し、研究の情報交換の場とした。その研究会の席上で、Oリングテストを紹介する者が現れた。
 実演して貰うと、右手の親指と人差し指の先を合わせて輪を作り、その輪にもう一人が両手の人差指を入て親指と人差指を引離す方法だった。
 即座に実験してみると、空いた方の左手に、自然治癒力を阻害する磁石、合成繊維の靴下などを持たせたり、指輪や金属バンドの腕時計を手首や指に通すだけで、右手の親指と人差指を合わせる力の低下がはっきり分った。
 次に、磁石や靴下などを除去すると、それだけで力が入る。代りに、健康増進因子であるものを載れば、指を合わせる力が強くなる。
 この現象を見た瞬間、これは効力の測定法として使えると直感した。
 この当時の私は、より効き目の強いものの発明と発見に熱中していた。そこで困ったのは、効力の測定法がないことだった。
 測定器がなければ、人体に頼るしか方法がなく、以前から注目していた敏感な体質の人に頼み、効き目が浸透する深さや広がりの感じを聞いては効力の目安とした。
 生憎なことに、その人は少し遠方に住んでおり、先方の都合に合せたり、往復に時間が掛ることなどで開発に不便を感じていた。
 ところが、Oリングテストなら殆どの人が反応するから、特別に敏感な体質の人を探すこともなく測定が出来そうだと分った。
 この方法は、極度に敏感な人もあれば多少反応が鈍い人の差はあっても、殆ど全員が反応する。
 ありがたいことに、紹介者はOリングテスト以外の方法もあると言い、片手を伸ばしたまま横方向に肩の高さまで上げ、その手首に他の人が人差し指と中指をかけて下方に引下げる方法も披露してくれた。
 この方法でも、空いた手に試料を持てば、Oリングテストの時と同じように力が入ったり入らなくなる。
 これを見て、上げた手を引き下げる人に代り、水を入れた二本の一升瓶を束ね、これを持上れば、測定は一人で出来ると考えた。

 結果は大成功だった。Oリングテストでは、ほぼ全員が反応するが、一升瓶の方法では、十人中六七人だけしか反応しない。それでも注目すべき別の魅力があった。
 やや大まかな区別になるが、前者のOリングテストでは力が入るか入らないかの、二者択一的反応を調べる程度の利用価値に終る。
 それに対し、後者の一升瓶を持ち上げる方法は、反応がある部類に属する十人中六七人は、試料の違いによって重いか軽いかだけでなく、うんと重いから大変軽く感ずるまでの間に、容易にいくつもの段階に格付できる便利さがある。
 これなら、定性的な判定だけでなく、ある程度の定量的な測定にも応用できると期待した。そこで、測定法として一人で調られる後者を採用した。
 その外にももっと大切な理由があるが、話は長くなるし脱線の度が過ぎるから、別の機会に詳述する。

 誠に不思議な巡り合わせであるが、Oリングテストが俄に注目されるようになったのは、井深さんの強力な支援があったからだと、後になって井深さんから聞いた。
 ところが、当事者の井深さんに一升瓶のやり方を説明すると、躊躇なく私に軍配を挙げた。それは、逆転現象や寝ぼけ現象を除去する方法を発見していたからだった。また東大医学部名誉教授も、子供だましのような道具であっても、正確に測定できることを自身で確認して驚き得心した。
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ど う し て 丸 山 ワ ク チ ン で
癌 が 治 る の だ ろ う か

                              Apr.20 1984
 1960年以来、私は丸山ワクチンに強い関心を持っていた。
 当時の丸山ワクチンは、専ら結核治療薬として用いられていたが、その効果は常識では考えもつかない威力を発揮していた。 その後1962年になると、このワクチンは癌にも効くことを知った。
 しかし、なぜ結核ワクチンが癌に対しても効くのか、理由が分らないまま月日は過ぎた。
 1976年(昭和51年)に、私は丸山ワクチンで癌が消失(治癒)したり、縮小する事実の有力な根拠と考えられる理論を、思いついた。
 以下に述べる丸山ワクチンの癌に対する作用機序で、大胆極りない推論を開陳するが、もし諸賢の参考に供し得ればこれにすぐる喜びはない。

 結核の療養所などにおいて、癌の発生が皆無であることは、丸山先生の論文ですでに明らかにされている。
 この論文の要旨は、結核菌が体内で活動している時期には、癌は存在し得ないということである。
 いま少し考えを進ると、もし結核の病状が死の寸前に至るまでに悪化していても、体内の防御機構は結核菌と最後の瞬間まで戦い続けているだろう。
 その結果、結核菌は多少なりとも滅されているはずと推量される。
 その結果、結核患者には癌の発生はなく、体内に結核菌の少ない人に癌が多くなると考えられる。※1

 結核症に対する常識をはるかに超えた丸山ワクチンの効果を考えるとき、体内の防御機構と結核菌の格闘の産物中に、癌の存在に極めて不都合な物質、あるいは状態が生じていると考えられる。
 以上の事柄を念頭に置き、なぜ丸山ワクチンが癌に効くのか考えてみる。
 はじめにも述べた通り、丸山ワクチンは強力な結核治療薬である。
 また、癌患者といえども、体内に結核菌が全くないわけではない。ただ、結核菌の量が少なく、結核菌に対抗するだけの機能が十分に働いていないのではあるまいか。
 そのとき、癌患者に丸山ワクチンを注射すると、結核菌に対する防御機能がたかまり、結核菌が滅された結果、癌の存在に極めて不都合な物質(癌治療物質)、あるいは状態ができるのではあるまいか。
 その結果、癌の縮小や消失などの効果となって現れると考えられる。  ※2

 そこで、丸山ワクチンの使用法についても考える必要がある。
 丸山ワクチンにはA,Bの二種類があり、いずれも同一内容物で、濃度だけが異っている。
 濃度は、B=A/10で、BはAの十分の一の濃度になっている。
 結核治療の場合(結核菌過多症)、ワクチンAを週に一度、1アンプル(1cc)の注射が適量である。
 結核症に対する効果は、短期間での陰影の消失、空洞の消失(瘢痕も残らない)、治療期間の短縮、耐性の消失、副作用が皆無など、他の治療法で丸山ワクチンに比肩し得るものはない。
癌(実は結核菌過小症と言える)治療の場合、丸山ワクチンの一般的使用方法は、次のように行っている。

1 2  3  4 5 6 7  8 9 10
A 休 B 休 A 休 B 休 A 休

 この方法では、四日目ごとにAを注射している。
 結核菌を大量に持つ結核患者でも、Aを七日目毎に注射して、それが最適量である。
 結核菌の少ない癌患者に、四日目ごとにAを注射しては濃すぎはしまいか。
 抗原抗体反応を利用するワクチン療法では、ワクチンと結核菌のバランスがなにより重要と考えている。
 従って癌患者の場合、結核菌とワクチンの適度なバランスが得られる注射方法として、Aを週一回、0.3cc注射するか、Bを一日おきに注射していい結果が得られている。
 私が考えている理想的な癌治療方法は、B.C.G.を使って結核菌を補給し、B.C.G.とバランスが取れた量のワクチンを使用するのが良いのではないかと愚考する。
 そもそも、丸山ワクチンは結核やB.C.G.潰瘍の特効薬である。
 癌患者に丸山ワクチンと B.C.G.を併用しても副作用はなく、いい結果の得られたものが二例ある。
 さりながら、この方法は医師の理解と協力がなければ実施できない。よって、この方法が一般に行われることを切望する。


※1 日本最古の癌専門の研究機関として高名な、東京・御茶ノ水にある佐々木研究所(杏雲堂病院)病理部長である佐藤 博先生(写真)に、この考えを聞いていただいた。
 佐藤先生のコメントは、「丸山ワクチンの原点に返った考えで、実に素直な発想です」とのこと。(1983年12月26日)
 後日、あの考え方に疑問点や矛盾が見つかったかを再確認すると、「今のところあの考えで間違いないと思う。波と防波堤の関係に例えて言えば、並の台風の高波(一般的な癌)なら充分防げると思うが、数百年に一度の大津波でも防げるかとなれば、それは分らない」と言われた。

※2 生れつき免疫機構を持たないヌードマウスを使い、丸山ワクチンによる癌治療効果を証明した、川崎医科大学病理学教室木本 哲夫教授の実験結果とは矛盾する。
しかし、癌の治るメカニズムをただ一つと限定せず、複数のメカニズムがあると仮定すれば説明できる。
 木本教授も、癌には複数の治り方があると思うと承っている。

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上記論文の英訳版
My personal opinion of 
Maruyama vaccine
Since 1960, I have had a profound interest in the Maruyama Vaccine. During those years the vaccine was solely used for the treatment of Tuberculosis, and the results were amazingly effectiv.  
Later in 1962, Dr.Maruyama found the vaccine seemed to work on cancer too, however no one seemd to understand why, and to this day it is still unknown.
In 1976, I discovered the reason why the vaccine made the cancer go into about a 90% remission, diminished in size, and the shadow in the Xrays disappeared as almost cured. It is a bold assumption on my part, however, I hope it would be of some help on your judgement and consideration about the Maruyama Vaccine.
In his Thesis, Dr.Maruyama made it very clear that there were no cancer patients in the tuberculosis sanitarium. This means that when the tubercule bacilli is active in the body, there are no cancer tumors or cells, and to go a little farther in this line of reasoning, even though tuberculosis is so advanced that the person is near death,the resistance of the body is actively working and a certain amount of tubercle bacilli is being destroyed.
As the by-product of struggle between the biological resistance, Maruyama Vaccine and tubercle bacilli, some substance of some sort is very detrimental force to cancer. As result, there are hardly and cancer among tubercular patients.
As the tubercle bacilli diminishes in the body, it seems more cancer exists.
As we look all over the world, the area where there are more tuberculosis there seems to be less cancer, and where tubercuosis is less there seems to be more cancer. *1
As stated before, Maruyama Vaccine is primarily used for tubercular treatment. As for cancer patients, there are some tubercle bacilli in every person, but less amounts of tubercle bacilli means less activity against cancer. when the Maruyama Vaccine is administered, the biological activity becomes more vigorous and by destroying the tubercle bacilli creates more substance which is detrimental to cancer, and as a result the cancer goes into reminission in size or eradication of cancer cells.*2

Let us examine the treatment of tuberculosis. Maruyama Vaccine has two categories which is A and B. Both are of the same material but at different strength. B is 1/10th the strength of A. For treatment of tuberculosis , vaccine A--1 ampoule(1 cc)a week is administered. The result is shorter treatment periods, disappearance of shadows, smaller or no cavities without any adverse reaction, and I dare boast to say there are no comparisons with other medications.

For the treatment of cancer ; Day 1--A, day 2--none, day 3--B, day 4--none, day 5--A, day 6--none, day 7--B, day 8--none, day 9--A, day 10--none, repeat the same procedure.
"A" is administered every 4th day. Even if the patient has advanced tuberculosis, the use of "A" every 7th day is most effective also.
When the cancer patient who has only a small amount of the tubercle bacilli, to give the cancer patient vaccine"A" every four days is too much.
For any treatment depending on anti-histaminic reaction the balance between existing bacilli and potency of the Vaccine is very essential, therefore to obtain the best balance on the cancer patient it would be an injection of "A" (0.3cc) once a week or B every other day. This will bring favorable results.
My personal opinion at the present time, the most ideal treatment for cancer is injection of B.C.G.(as a supplimental tubercullar bacilli and Maruyama Vaccine is the best procedure.)
To repeat Maruyama Vaccine is one of the best medication for tuberculosis.B.C.G. becomes ulcerated. I saw two cases of administering Maruyama Vaccine ,and B.C.G. at the same time without any adverse effect or reaction.
This method, however takes good understanding of physician to execute. It is my profound wish that this methods be applied and used widely by the public.


*1 I asked Dr. Hiroshi Satou's opinion, he is the head of the psthological research department at Sasaki Instituto (Kyoundo Hospital) on this matter, and his comment was, "I belive it is a fundamental thought which goes back to the beginning of Vaccine"
At a later date I asked Dr.Satou again if there were any doubts or contradicting points and his quote was, "As of now there is no mistake on theory.For example; our harbor breakwater could withstand ordinary high waves, but could it resist a tsunami or a once in a lifetime storm?"


*2 It is contradictory to the results Prof.,Tetsuo Kimoto, Department of Pathology KawasakiMedical School, who tasted the Maruyama Vaccine on mice, which has no immunity against diseases.
However if you consider there are more than one way to cure cancer, the aforementioned method could be explained. We understand Prof.Kimoto considers there were more methods to cure cancer.

Translated by Mr.&Mrs. Tom Yamasaki U.S.A.

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丸山ワクチンの作用機序2
Oct.27 1984
 先の報告の中で、川崎医科大学の木本哲夫教授による、ヌードマウスの癌治療の実験は、一般に行れている丸山ワクチンの癌治療法とは異なる作用機序ではないかと述べた。
 ところが、ワクチンによるヌードマウスの癌治療のメカニズムについても、新たな推論に到達した。
 木本教授の研究では、癌患者が使用する十倍、百倍の濃度で実験し、高濃度のものほどいい成績をあげている。
 これを、数千倍、数万倍、ことによれば数十万倍の濃度にしたら、結果は更によくなるのではと言っている。
 他方、「丸山ワクチン」の名前から分るように、免疫機能を全く持たないヌードマウスに「ワクチン」を使用しても治療効果を上げているのは、一見矛盾しているように思われる。
 ところが丸山ワクチンは、結核菌体抽出物質(有害な蛋白質は除去してある)であるから、体内で結核菌が滅ぼされたとき発生する癌治療物質が、微量ではあっても含まれていると思われる。
 だから、高濃度になれば、癌抑止物質を大量に投与したことになるのでは、と推論するに至った。
 この発想を、佐々木研究所の佐藤先生に電話で伝えると、「全く同感です」と賛同していただけた。(1984年10月24日)
 翌日、木本教授にも電話で説明すると、なんの惑いもなく理解し、賛同していただいた。※1
 結論として、体内の結核菌を滅ぼして癌を治す目的ならば、結核治療の場合よりも低濃度が良いと思う。
 またヌードマウスを使った直接的な効果を期待する場合は、超々高濃度のほうが良いと思う。
 丸山ワクチンを癌患者に使い始めた暗中模索の時期の結果、Aばかりを一日おきに使用する(中程度の濃度)とあまり効果が得られなかったことを思い出す。
 むしろ、Bだけを一日おきに注射すると、劇的に好転する例を多数見た。
 前回報告した療法と、ヌードマウスの実験結果をつき合せると、トンネルを左右から掘進み 、中央で合致し貫通した感が強い。

※1 1984年9月12日、佐藤先生に、「体内で結核菌を滅ぼしたとき発生する物質を解明できれば、この物質が副作用もない癌治療の特効薬になるのでは」と話すと、「夢ですね」との返事だった。
 「夢ではあるが、雲を掴むような夢ではないと思う」とたたみかけると、「専門用語では、そうした夢を作りだすことを作業仮説を立てると言って、研究の方向付けに役立てている」と教えられた。

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