感性が真贋を判別する


 私事で恐縮であるが、大学で電気工学を学び、医学部も出ていない一介の雑兵が、確定診断のついた難治病をヒョイヒョイと片付けているのに、 折角臨床医や研究者がその効果を目の当たりにしても、なんの驚きや感動も示さない。
 バイオリンによる幼児教育に生涯を捧げた鈴木鎮一先生は、NBCの首席ビオラ奏者、プリムローズの前立腺癌が腰椎、肩の骨と頬骨に転移したものを、私がいとも簡単に治した例を引合に出して、「奇跡としかいいようもない現象に遭遇しても、医者が驚かない神経に驚く」と感性の鈍さを嘆じた。
 医学部を卒業していれば、それなりの知識は持ってはいても、感性はまた別のものだから是非もないと思う。
 蛇足ながら、癌が骨に転移したら万事休すが定説である。
 井深大さんは、新技術開発の鍵は感性にあると言った。また、鈴木先生も感性の大切さを重視しておられ、井深さんは鈴木先生の感性に深甚の敬意を払っていた。
 

 私が鈴木先生の知遇を得るや、すかさず井深さんに引合せたのも、井深さんの感性と私の感性が結びつけば、大きな収穫があると期待してのことだったらしい。

 一口に感性と言うが、感性が閃を生み、改良は一途に仕事を続けていれば辿り着く。しかし、多くの人は思いつきと閃の区別がつかない。
 思いつきは改良を生むが、閃は全く新しい理念から出発している。
 日露戦争の日本海海戦や真珠湾攻撃は、下瀬火薬や航空機からの魚雷攻撃で戦果を挙げたが、日米決戦は一発の原子爆弾で幕が下りた。
 前者は思いつきの産物の改良主義でそこそこの成果を挙げ、後者は新たな理念「核分裂」に基づく原爆で決着を付けた。
 閃は偶然湧き出るものではなく、問題解決のために思いを巡らし、愚にもつかないことにあれこれ思案した揚げ句、突然の閃で答が出る。
 正解を得てはじめて分ることだが、あれこれ考えていたのは、問題に関連するありとあらゆる事柄を検討し尽していたのだ。
 だから閃いた瞬間は、真っ暗な部屋に電灯が点ったように、例え僅かな明かりでも部屋中の全ての配置が瞬時に理解できる。閃を得る大切な要件は、関連するものの全てが検討し尽くされていなければならないのだから。

 私の場合、思いを巡らす期間は、短いものでも十日位はかかるし、長いものでは十八年かかったこともある。思いつきならそうは時間を要しない。
 なぜ日本人が日本語の、ドイツ人がドイツ語遣いの名人になるのだろうか、それも子供が。鈴木先生が鈴木メソッドを確立するまでにも、永い暗中模索の期間があった。
 そんな時、まだ子供の江藤俊哉に「俊ちゃん、どうして日本人は日本語を話すのだろうね」と訊き、俊坊を困らせた。彼は音楽界の重鎮の座を占める存在になった。
 やがて鈴木先生は、同じ言葉をなん千回も聞き、耳から入った言葉を口から出す母国語教育法に気づいた。それならば子供に楽器を持たせ、耳から入った音を楽器から出させればいいと閃いた。
 鈴木メソッドの出発点である。当然読譜は後回しになるが、この閃に到達するのに幾星霜を費やしたことだろう。

 ドイツ滞在中の鈴木先生は、アインシュタインとも親交があったが、理論物理学者と音楽家では専門分野は異るが、二人の感性が通じ合ったからお互いが良く理解でき、交流できたのだと言う。
 また、二十世紀最大の音楽家と評せられる、チェロのカザルスと鈴木先生が会ったとき、大勢の子供達が一糸乱れぬ演奏を終えると、二人はなんの言葉もなく抱き合って涙で濡らした。
 そのことを鈴木先生は、言葉では表しきれないものが、感性の交流で十分に理解し合えたと言う。
 二人は、クラシック音楽を演奏する幼児教育が、感性豊かな人を育て、やがて世界平和に貢献できる早道だと理解し確認できたと言う。
 のちにカザルスは、国連ビルでチェロの演奏をしたが、それもカザルスが世界の平和を国連に期待したからであろう。
 それでも未だに鈴木先生に異を唱える音楽家もあるが、世界のオーケストラから鈴木メソッドで育った人を除外した情景を想像してみるがいい。
 弦楽器とフルート、ピアノがなく、フルートを除く管楽器と打楽器だけでは吹奏楽団で、これではレパートリーは限られる。鈴木先生の閃の偉大さが改めて分るはずだ。

 井深さんの親友・本田宗一郎氏は、牛が農耕や荷車牽引に使われていた昭和三十年頃、「牛の耳はどこにある」と会う人ごとに訊いた。
 自宅や屋外で毎日見慣れている牛なのに、角の位置ならすぐ分っても、耳の位置を即答できる者はなかった。
 画家に尋ねると絵を描き、「なーんだ、ここにあるじゃないか」といとも簡単に答えた。鹿を追う者、山を見ずである。

 井深さんは私の感性を、大道に路頭して百万の人が踏みつけた石を、なんの惑いもなく掘り出せばダイヤの原石で、磨いて宝石のダイヤモンドに仕立てる人と評した。

 井深さんの感性は私とは対極に位置しており、誰も思いつかないテーマに照準を合せ研究開発に邁進する。
 カラーテレビが、三つの電子銃で三原色を出す時代に、一つの電子銃で三色を出すトリニトロンテレビの開発に、資本金に匹敵する額の研究費をつぎ込み、三十年近くもソニーを支える大黒柱となった。
 また、私の研究開発進度が速いのを、感性の賜物と評価されたが、それは感性だけでなく重宝な道具があったからだ。
 その道具を見つけたのも感性のお陰と思うが、立て続けに発見や発明を生む重宝な道具とは、生命情報を利用するラジオニクスであり、スケールこそ違えソニーにも、私の考えに極めてよく似た生命情報研究所があった。


 絶対新規性を追求するときは、雑学の多寡が成否の鍵を握る。井深、本田の両氏も、また不肖も雑学の塊のようなところがある。
 いざ全く新しいものを作ろうとする時、それに関するさまざまな情報や手持ちの雑学情報が、なんの脈絡もなく出没去来する。
 どこから手を付るか、それらをどう組合わせるかなどの手順も感性で決まる。情報の真贋を見極めるのも、むろん感性である。
 卑近な例で言えば、せっかく部下がいいアイデアを出しても、鈍い上司にかかれば「そんなもの、見たことも聞いたこともない」の一言でボツになってしまうと言えば、お分かり頂けると思う。
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