その他いろいろ 
              ワイワイ ガヤガヤ

 30年にも及ぶ自然治癒の研究は、いつの間にかとてつもなく間口の広いものになった。
 冗談に、一人でも総合病院と言ったが、気がつけば総合大学の感さえある。
 それを体系立てて説明したいのは山々なれど、どこから手を付けたものか思案に暮れる。
 そこで失礼は承知の上、思いつくまま脈絡もなく、体験談や意見を開陳させていただくことにする。

1.顔面マヒ
2.リューマチ
3.五十肩
4.座骨神経痛
5.便秘
6.健康ハウス
7.減塩騒動
8.生野菜
9.脈診器
10.ボードトレーニング
11.数珠
12.まんじ
13.楽器の変身
14.EM菌
15.自然分娩
16.舌切り雀
17.脳の疲労は感知できない
18.7.ひばりさん、御免ね


1.顔面マヒ

 健康雑誌で紹介されると、思いもかけなかった病名の人に出くわすことがある。顔面マヒもその一つだ。
 鍼灸の本には、喉のあたりにツボがあると書いてはあるが、実際にはなかなか効かない。
 丸山ワクチンが天下の耳目を集めたとき、先生は軽い顔面マヒになった。このとき役に立ったのが、ロッキード事件で渦中の人になった田中角栄首相だった。
 彼ほどの百戦錬磨の人でも、連日カメラや記者の餌食になると、顔面マヒになる。私の独断と偏見で、マヒの原因は過度のストレスと判断した。
 そこで、つま先にちょっとしたおまじないを施すとストレスが消え、顔面マヒも治まった。それ以後は、顔面マヒで手こずることはなくなった。


2.リューマチ

 リューマチ患者の9割は女性である。私のところで一度は完全に治ったかに見えた人が、いつのまにか元に戻ることも多かった。
 別府に、リューマチを治すと評判の、冷凍療法研究所がある。所長の山内寿馬(かずま)先生は、元九州大学温泉療法研究所の医者だった。
 先生の九大時代の発見は、温めるな、冷やせ。じっとするな、動かせだった。どんなリューマチでも顎が動かなくなる人がないのは、食事で口を動かすからだ。
 理屈でそう言われても、冷やすのが辛いのもまた事実である。そこで採用したことは、女の長風呂禁止だった。寒い日の入浴は控えてもらった。烏の行水で、風邪をひいたら元も子もない。
 たったこれだけのことで、リューマチの予後は格段に良くなった。


3.五十肩

 五十肩は、医者だけではなく鍼灸師泣かせと一般には考ているが、操体法の橋本先生や私には、「ああ、またか」程度で済んでいる。
 そうは言っても、初めの頃は少しばかり苦労はあったが、ダ・ビンチの上半身の解剖図で、筋肉の絡合ったスケッチを見て答が見つかった。
 痛みの原因はあばら骨の籠全体に不自然な力が加り、胸板の正中線上に歪が出る。
 試に、五十肩の人は、自分の喉の下からみぞおちまでの正中線上を指で押えてみれば、ビックリするほどの圧痛点のある事が分る。
 この部分が五十肩の震源地である。ここを攻めるから五十肩は治っていたのだ。

 
東北大学の整形外科の教授が五十肩になり、病状は悪化の一途を辿って展望は一向に開けず、とうとう門前の町医者、温故堂、橋本先生にお願した。温故堂先生は、動かしても痛くない方向に誘導して七八秒停止させ、一気に脱力させるとそれだけで完全に治っていた。                                 
 五十肩は整形外科の専門分野であるが、町医者にこうも簡単に治されたからには、医学部を動員してなぜ治ったのか解明することにした。
 東北大学に橋本先生を招き、操体法で患者を治してもらった。
 センサーをたくさん着けて調べると、回答は、脳神経内科から出た。カギは瞬間脱力にあった。 関節には、曲げろの指令と、伸ばせの指令しかないが、瞬間脱力では、「休め」の指令が出る。
 そうなると縮んだ筋肉も伸びた筋肉も、同時に伸びろの指令と解釈し、固く縮っていた筋肉が瞬時に開放され、五十肩は治ってしまう。
 これで操体法は、合理的で巧妙な治療技術であると証明できた。                      
    
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4.座骨神経痛

 初めの頃は、座骨神経痛も神経痛の仲間ぐらいにしか考えていなかった。
 同じ患者でも、神経痛の箇所は簡単に治っても、座骨神経痛は手強い。その患者は神経痛は簡単に治っているのだから、よく効く体質のはずなのに。
 ぎっくり腰を二三度やると、座骨神経痛になる。ある時、常連で大層敏感な体質の人が来た。
 耳の中を見ると、穴の入口の天井に巨大な耳クソが着いていた。
 ピンセットでそっと取りだして見せると、本人もあまりの大きさにビックリした。
 爪楊枝を取りだして、耳クソの着いていた部分を軽くつついて「どこに効く」と問うと、臀部と大腿部の境に手を当て「ここ」と応えた。
 そこは座骨神経の場所で、座骨神経痛の新しいツボの発見だった。こうして、座骨神経痛のツボは耳の穴の入口の天井にあると分った。

 座骨神経痛とは無関係な病であるが、老化と共に膝や腰椎の軟骨が摩滅して難儀をしている人が多い。医者の意見では、すり減った軟骨は再生しないことになっている。
 私の経験では、こうした症状の数え切れないほどの多くの人が、数ヶ月の間に完治している。無論、医者のレントゲン写真やファイバスコープで、軟骨の再生を確認している。
 この現象をどう解釈すべきか。私見を述べれば、激しい運動や労働をすれば、誰もが軟骨が摩滅しているが、若いときは一晩も過ぎれば軟骨は再生するように出来ているのだろう。
 しかし年を取ると完全再生とはならず、次第次第に軟骨が小さくなり、腰痛や膝痛となるのだろう。再生能力さえ回復すれば、痛みも急速に消えている。それも、患者の多くは70を過ぎた方が多いのだから、諦めることはない。


5.便秘

 西洋医学では、腸の動きが鈍いと便秘になるというが本当だろうか。
 ロサンゼルス近郊のパサデナに住むメイ山崎(やまさき)さんの便秘は、重症だった。
 毎夜、家人が寝静ってから、2時間も便器に座るのが日課だった。
 彼女のあまりにも親身な心配りへの返礼に、拙宅に招待し一ヶ月ほどを過した。
 日本に着いた翌日から、便秘は全くなかった。米国に帰ったら、人工肛門をつけると言っていたのに、快便快眠の生活だった。
 便秘用のクッキーをどっさり持ってきたが、一枚も食べず持ち帰った。
 帰ると、またもとの便秘が始った。水が合わないため、腸内細菌の活性度が低下するからだと、私は勝手に考えている。
 昭和42年頃、単なる興味で餅カビを実験対象に観察していた。そこで得られた現象は、当初の予想と正反対のもので、その矛盾が説明できず実験を止めてしまった。
 それから18年後、実験で得られた現象の意味が、突然の閃できれいに説明できるようになり、便秘は腸内細菌の活性度が低下するからだと解釈できた。だから、水と便秘は密接に関係している。
 旨くて便秘にならない水なら、簡単に手にはいる。

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 そもそも、合成樹脂系の接着剤の効力は、条件が良くても30年しか保たない。新建材の家が20年くらいでボロが出る理由はここにある。
 ありがたいことに、研究が進めば進むほど、簡単にそれらの健康阻害因子を無害化できるようになった。
 現役の頃はしばしばテレビに登場していた東大医学部の名誉教授は、私の説明をたちどころに理解して、別荘の新築を機に、その仕掛けを全面的に採用している。
 日本を代表する古民家集落のひとつに妻籠(つまご)があり、ここは島崎藤村ゆかりの地でもある。
 集落の中程に本陣があり、入場料は300円だったと思う。
 靴下を脱ぎ、廊下に足を置いて畳に腰を下ろし、両手を軽く開いて畳の上に置くだけで、天然素材だけの建物がどれほど快適なものか、自然治癒力の回復がよく分る。また、日常生活がどれほど不自然な悪い環境であるかが理屈抜に分る。
7.減塩騒動

 昭和50年代に、減塩運動が盛んになった。腎臓の悪い人を対象に減塩を勧めるならともかく、全国民一律となると首を傾けざるを得ない。
 ある時、豚児のバイオリンの先生が出しぬけに、「バカになったから教室を閉める」と宣言した。まだ65歳だった。
 辞める理由を聞くと、指導曲集第3巻の曲名が、頭からなら難なく言えても、最後からはじめの方に遡って言えなくなったからだという。
 減塩をしていませんかと問うと、一ヶ月前から始めたとの由。
 腎臓が悪くもないのに、無闇に減塩すると血圧が低くなり、頭に血がのぼらずボケますよと忠告した。
 このころ、レッスンの合間に先生の左手の腱鞘炎を治してあげたり、難治病の進行性皮膚筋炎の生徒を瞬時に治したので、私の話を素直に受入れてもらえた。
 一週間後のレッスンで、「辞めるの辞めました」と訂正発表があった。それから20年後も現役で、才能教育でも指折りの指導者として活躍された。
 実は、減塩運動をはじめた一年後には、ボケたり労働能力喪失者が激増したという。
 それなのに血圧は120でもまだ高い、100台にしようとのかけ声がある。なんの根拠があって
それを言うのか、ボケ老人ばかりになったらどうすると医者に聞いた。
 聞かれた医者はニコリとして、「昨日、脳外科の先生にそれを質問すると、『高齢者は最低でも140は欲しい。理想は150だ。160を超えないように管理するのが医者の務めだ』といいました」と教えてくれた。
 血管の破裂だけを心配して、そのため血圧が100台になってボケても生きていたいのかしら。
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8.生野菜

 白人は生野菜を食べても、消化吸収するという。ところが我々モンゴロイドは、火を通すか発酵させて漬物にしないと吸収が難しいという。どうやら消化酵素の違いが原因らしい。
 それで分った。漢方薬は、苦労して採集した植物を乾燥させ、煎じて飲ませる。
 粉にして飲ませればムダがないものを、手間暇かけて煎じた上、汁だけ飲んで元を棄てるとはなんたる不合理さと馬鹿にしていた自分を恥じた。
 冷静に考えれば、ガスも電気もない昔、わざわざ煎じて飲むからには、効き目に大きな差があるからだと気がついた。ごめんなさい、3000年前の先人に脱帽。
 こうして目から鱗のお陰で、大きな発明が出来た。

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9.脈診器

 井深さんの書斎や寝室には、何に使うのか得体の知れないものがいっぱいある。
 会長室にも、有名な黄金モルモットもあるが、大きな段ボール箱に「蒸気で動く汽車」と書いたものや、天井にはリモコンで動く飛行船が張付いていたりで、巨大な子供部屋である。
 中国医療に脈診がある。脈診は、病気の診断だけでなく、未病の段階でも病気が分るという。
 写真は初期の脈診器である。
 センサーを指に挟むと、血流の加速度が波形で現れる。これを5台作り、私も1台いただいた。
 使い方は簡単でも、波形が何を意味するのかは誰も分らない。
 試作を担当した一人に、いくらかかったか尋ると、こともなげに1500万円という。昭和60年ころのことである。
 こうした訳の分からないものの中から、ウオークマンが誕生した。これでは殿の道楽を、むげに諫ることも出来ない。
 本格的に脈診器の研究が始ると、韓国人で京都大学内科卒で脈診の第一人者の白先生をヘッドハンティングした。年俸は1億円である。
 サラリーマンの頂点と目される東京海上社長の年俸と同額だ。
 白先生が指で、患者の手首の脈診をするかたわら、脈診器でも記録を取りデータベースを作った。
 こうして、コンピューターで正確に診断できるだけでなく、未病の段階でも診断がつくようになった。

 井深さんに、拙著「どうしましたか?」をさしあげると、早速丁重な直筆の返事をいただいた。その中に、脈診器のことが書かれているので、まずそれを披露する。




 
こうした長文の書簡は、おそらく井深さんの絶筆であろう。それ以後は、持病の後従靱帯側索硬化症が進み、名前を書くことぐらいしかされなかった。

                       写真 1
 写真1は、脈診器の出発点となるヘルスアナライザーHA1である。
 指先を軽く挟むだけで、血流の加速度を測る器具であるが、得られた波形の意味が判らないため、思いつくままに測定してみた。
 この装置を使えば簡単に測定は出来るが、測定結果のグラフの波形が何を意味するのか誰にも分らない。しかし、それに拘っていても前に進めない。
 測定器を見て気になったのは、センサー部分で指先を押さえる二枚の板の間に磁石があることだった。この磁石は可成り大きな外乱要因となる筈である。
 そこで、それに代わる板を檜で作ったものが、写真1の中程上の小片である。

                          写真 2



まず最初は、磁石付きの金属片と檜板との、計測の差異を観察することから始めた。

 写真2で、センサーにセットしてあるのが桧板で、センサーにもたれているのは、磁石付金属板を真横から見たものである。



                          写真 3



 写真3は、センサーを指にセットしたところ。


                         


                          グラフ 1
 グラフ1の上段のグラフは、敏感な体質の人のものであり、下段は、やや鈍感な体質の人のものである。
 左側は、磁石付金属板で測定したもので、右側は、檜板で測定したものである。
 尚、本測定時には、外乱防止は施してない。

左側の磁石付きのものでは、ピークが低く、波形にギザギザが多く、右側の檜板では、乱れが少ないことが分った。
 よって、以後の測定はすべて檜板を使用し、外乱防止も施した。

 次のは、生活環境中のありふれた外乱要因で、波形にどのような変化をもたらすかを示すものである。被験者は、グラフ1の敏感な体質の人である。
 磁石や合成繊維などの外乱要素は、手首から先と足首から先にあるとき、その影響が強く表れることが経験的に分っている。そこで実験に先立ち、素足になり腕まくりをして臨んだ。ただし、床板は合板(ビニール系の接着剤が使用してある)である。
 センサーは左人差し指にセットし、試料は右手に付けた。


                        グラフ 2





 グラフ 2は、何もセットしない状態、対照である。







                         グラフ 3



 グラフ3は、右人差し指に、指輪を通したときのもの。
 グラフ2の対照に較べ、波形が乱れている。






                         グラフ 4




 グラフ4は、木製の椅子にかけた被験者の膝の上に、コンセントに差し込んだコードを置いたときのもの。
 波形の乱れが顕著である。








                          グラフ 5



 グラフ5は、畳んだ布製のナイロン100%の風呂敷を右手の平に載せたときのもの。
 波形の乱れが一段と顕著である。






                          グラフ 6

 グラフ6は、私が彼女の肩に軽く触れたときのもの。周昌院事務所では、この現象を「ツボの相性」と呼ぶ。
 ヒーリングで優れた効力を持つ人は、殆どの人に対し波形がきれいになる持ち主である。従って、私はダメの人の代表的存在。
                          

                         グラフ 7






 グラフ7は、圧電式電子ライターを20回パチパチと放電させた時のもの。







 以上の結果から分るように、日常生活の中のありふれたものが、健康に重大な影響を及していると、波形から分る。


10.ボードトレーニング

 周昌院事務所の玄関には、畳一畳分の大きさの水槽があり、浮力140sの発泡スチロールが浮べてある。断っておくが、浴槽の大きさではゼッタイに無理だ。

 一見健康そうな新生児が、母乳を全く飲まない。ついには、授乳指導士もお手上げになった。
 そこで、搾乳して哺乳瓶に移し、ベッドに寝かせたままなら飲む。自閉症である。
 自閉症は、他人に触られることを極度に嫌うが、母親に抱かれたり、その哺乳を拒否するとは、いくら自閉症でも度が過ぎる。自然界なら、真っ先に淘汰されるはずだ。
 その子が、祖父母と母に連られてきた。用件は、祖父の重症の部に属する座骨神経痛で、祖母と母(娘)が両脇から支えた。
 座骨神経痛は、例の耳の穴の天井で簡単に解決のめどがつき、私の関心は自閉症に移った。
 この時は、間もなく2歳になる頃で、観察すると、名前を呼んでも反応はなく(社会的適応がなく、自分の殻に閉籠るから自閉症という)、自損癖も強く、髪の毛が抜けるかと思うほど引っ張ったり、顔や頭を叩いた。
 母親がボードに乗せて座らせると、大声で泣いてもボードの上では位置を変ないから、降りても来ない。
 発泡スチロールのボードは、茶緑で厚手のビニールシートで覆ってあるから、水面もボードも見えないが、それでも脳幹はボードの揺れ具合から、落ちたら溺死すると判断しており、命を守るため動かないのだと分った。
 泣いても喜んで乗っても、脳幹への刺激量に変りはないと説明し、15分間様子を見た。
 降して、家族は驚いた。自損癖は消え、名を呼べば来る。
 小生が茶たくを持たせ、台所のおばさんに渡すように指示すると素直に従い、手渡して戻って来る。社会性は完全に回復した。
 3回目まではボードに乗せると泣きわめいたが、4回目からは自分で乗りたがり、降すとすぐ一人で乗るようになった。本能が良質で強い刺激を求め、本人はそれを楽しいことと受止ている。


 小2の内弁慶は、イジメられっ子だった。登下校時は、イジメっ子のお供だった。
 ボードに15分のせて帰すと、翌日の登校時はいつものお供役だったのに、帰りはお殿様で、イジメっ子が家まで送届けてから学校の方向に戻って帰宅した。イジメッ子が家来になったのだ。それ以後も主従の関係に変りはない。
 たった一度の脳幹トレーニングが、ここまで人を変てしまう。
 子供は本能で判断することが多く、どちらが強いか即座に判断するのだろう。

 医学的には、自閉症はDNAの配列の狂いだというのに、かくも重症の自閉症が僅か15分でなぜ治ったのか。
 ダウン症や、大学病院で病名がついた先天性○○と称するものについても、自閉症と全く同じ事が言える。
 私の察するところ、梯子の配列が狂ったDNAの回路はOFFになり、代って健全で予備のOFFの梯子がONになって、全体のバランスを確保したのだと思う。


 最後に、不肖の初孫で見た驚きの報告をする。
 生後28日目の8月17日、浮力120sのウインドサーフィンのボードを持って、豊川(河川の名前)に出かけた。
 淀にボードを浮かべ、父親がボードにまたがり、その太腿に腰掛るように孫を置いた。無風でさざ波も立たぬ。孫の足は、ボードに密着している。
 5分もすると、微かな揺れにも反応し、足の指でボードを強く掴む仕草をする。
 15分でトレーニングは終った。車に乗り河川敷の不整地を走り出すと、孫を抱いた母親が「首が据った」と驚いた。身体を抱くだけで、頭には手を添なくてもすむ。
 帰宅して畳の上で立たせると、自力で立てるようになった。生後28日目である。井深さん発案の原始歩行よりもはるかに顕著な効き目だ。
 授乳しようとすれば、自分から乳首に顔を寄せ、しかも背筋力がついたので楽だという。
 これを見て分った。筋肉は生まれたときから備っていたのだ。たった15分のトレーニングで、脳から指令が出るようになったとしか考えられない。
 この時の様子は、ノーカットでビデオに収めてある。
 











 写真は、室内でできるボードトレーニング。

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11.数珠

  数珠まがいのブレスレットをした姿を、街頭で散見する。折角作るならもう一工夫して、異種金属を組合せたら、びっくりするほど効き目があるのに、惜しいことをすると思っていた。
 周昌院事務所に来た宝石屋にそれを教えると、即座に実行した。眼圧が30もあって、いつ失明するか心配していた女性がつけると、数日後には正常値の15に下っていた。
 一週間後に再度検査すると、やはり15で安定していた。12が正常値の真ん中で、15は正常値の上限だから合格である。

 腰がエビのように曲がったお婆さんが、腕輪が欲しいと現れた。
 ブレスをつけ、支払いを済ませ立上がると、腰がすっかり伸びていた。

 異種金属を組合せたブレスが、どれほどの威力を発揮しているかは、以下の話で想像がつく。

 店頭には、健康ブレストとも肩凝防止とも書かずそっと飾ってあり、勧めることも一切しない。
 それでも、そのブレスだけはよく売れる。買った客の三人に二人は、あまりの効き目の嬉しさに、後日菓子折などを届てくれた。
 長年宝石屋を営んでいるが、客が返礼に菓子折を届てくれたことは初めてだと喜んでいた。



12.まんじ

 文化勲章を受章された直後、思いがけないことを井深さんから聞いた。
 ソニーの生命情報研究所が、世界中の民間療法を10年かけて収集した。それを1年かけて評価し、結果が出た。
 実は、私のものも2点だけその中に入っていた。
 評価の結果は、私のものが群を抜いた世界一とのことだった。それまでも、自分のものが世界一だと密な自信はあったが、井深さんの口から聞けたのが嬉しかった。
 「私の如き在野の研究者は、ノーベル賞はおろか文化勲章にも無縁であると思っていたが、井深さんの今の言葉は、私にとって最高の勲章です」と答えて、「いつになったら世の中が認めてくれるのでしょうか」と聞いてみた。
 井深さんは躊躇なく「世間は鈍いから、200年はかかるかな。その時ソニーになん本大黒柱が立っているか分らんが、その中の1本にこれがあるのはまちがいない」と答えた。
 「その世界一の座も、もう入替りました。これで鬼に金棒です。今からそれを披露しましょう」と言って、「まんじ」を井深さんに体験していただいた。
 卍がよほど気に入ったらしく、「劇的な効き目とは卍のためにある言葉だ」と評価し、以後は卍を所望するときはただ一言「金棒」という。
 経緯を知らない者には、プラスチックの小さな板片を、金棒とはなんとも奇異に感じるだろうに。

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13.楽器の変身

 バイオリンは罪作りな楽器である。どんな名手でも、安物を持てば音は悪いわ、遠くまで音が届かないわ、強く弾けば壊れたスピーカーのように音が割るし、テクニックを要するパートが弾けなく、名人でも一介のバイオリン奏者になる。
 同じことは、弓にも言える。だから、名器と名のつくものは、3億円もする。弓も、2千万円はする。
 豊橋に全国からバイオリンの先生が集ったときのこと。
 私のちょっとした仕掛を弓に施すと、誰が聴いても分る変化にバイオリンの先生が驚いた。
 遠鳴りがする、音が良くなった、軽くて手に馴染むと、それぞれの楽器によって変わり方は様々でも、悪くなったものはない。
 バイオリンの肩当や顎当につけても、変化は歴然だった。
 生徒の楽器は論外としても、バイオリンの先生ともなれば、そこそこのものを持っているが、それでもはっきり変化する。
 ベルリンフィルでコンサートマスターをしていた豊田耕児さんの楽器で試して、新たな発見があった。
 彼のビオラだけは若干の改善があったが、弓では変らない。
 最高の材料とバイオリン制作の名手が作った一点の非の打ち所もないものは、変らないし変り様がないのだ。
 欠点があればある程、大幅に改善されると分った。
 ピアノでも、同じように変化するから不思議だ。

 もっと不思議なのは、工作機械の性能が桁外れに良くなるのだ。
 毎朝切削工具を交換していたが、楽器と同じものを旋盤、フライス、ボール盤などにセットすると、切れ味が良くなるだけでなく、刃の交換が一週間に一度になった。
 厚さ数_の鉄板に、0.5_くらいの孔を開けようとすれば、ドリルが折れるのが常識なのに、簡単に開けられる。
 刃物の研ぐ回数が減って摩耗が少なくなり、町工場の救世主になっている。
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14.EM菌

 汲取便所に、たった一滴EM菌を垂しただけで、3年経っても臭わないと教えられた。
 直感で、好気性菌にも嫌気性菌にも効果的に作用すると判断し、サンプルを目薬の瓶に入れて送ってもらった。カギは菌ではなく、酵素が握っていると思う。
 米の研汁をボールにとり、目薬の瓶に入ったEM菌を一滴垂してかき混ぜた。混ぜたとぎ汁の一部をフィルムケースに取分け、次回の「種」として残した。
 翌日、雑巾バケツの水に、この汁をコップに2杯ほど入れて雑巾をかけると、汚れがよく落ち見違えるほど綺麗になった。
 ブドウや桃の食べかすを棄てた流しの三角コーナーにも、この汁をスプレーでかけると臭いがなくなりコバエが寄りつかない。
 作業服が機械油で汚れると、洗剤で洗っても一度落ちた汚れが再度着き、全体が薄汚れてしまうと嘆く主婦に分けてあげると、洗濯が楽になり手も荒れないと喜ばれた。

 地方の大都市の屎尿処理場に働く人が、フィルムケースに入れたEM菌を持帰った。
 家に着くと、自家用のタネ菌を作った彼は、そのほんの一部をフィルムケースに入れて出社し、処理場の一番上流部にこっそり流した。
 いささか専門的になるが、下水処理場や屎尿処理場は、最上流部の暴気槽で活性汚泥を投入する。
 ゆっくり流れた汚水や屎尿の一部は、暴気槽の下流部から返送汚泥として最上流部に戻され循環している。
 彼が注いだぐい飲み一杯ほどのEM菌入りとぎ汁は増殖を続け、一週間もすると処理場全体に行渡ったらしい。
 処理途中の水も格段に綺麗になったが、最終処分品の汚泥ケーキに大変化が現れた。
 排水が綺麗になっただけでなく、汚泥ケーキの発生量が五分の一に激減した。
 汚泥投棄の手間も、五分の一になったのは言うまでもない。
 どこの処理場でも、暴気槽に投入するための活性汚泥菌と、投入前の活性汚泥菌の餌のためのアルコールをタンクローリーで、頻繁に補給している。
 あまりの状況の変化に、活性汚泥の投入を止めて様子を見た。それでも処理能力に変りはなく、依然として良好に保たれていた。そこでアルコールも活性汚泥の購入も止めてしまった。
 これは一処理場のめでたい話であるが、私の関心は別の所にある。

 どこの自治体でも、下水管の寿命は50年で計画されている。
 問題は、地下室があるビルの汚水だ。地下室の汚水は、下水管より低い。
 そこで、地下室の床下に汚水枡を設け、このタンクが一杯になるとポンプアップして下水管に流している。
 汚水枡での滞留時間が長くなると、硫化水素などを伴う強度の酸性排水となる。
 コンクリートは酸に弱く、50年は保つと思われていた下水管が、10年位しか保たない深刻な問題となって、地方自治体を悩ませている。そこで、EM菌入りのとぎ汁を、地下の汚水枡に一度入れれば、問題は一挙に解決する。その上、投入費用もかからない。バンザイ。

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15.自然分娩

 男には分らないが、お産を病気と勘違しているのではなかろうか。だから通常のお産を、自然分娩と強調することが不自然だと思う。
 陣痛促進剤も使わず、自然分娩で生れてヘソの緒がついたままの新生児を、母親に抱かせるハグで評判の、産科と小児科の開業医が居る。
 幼児を観察するうち、胎内記憶を鮮明に語る面白さにも惹かれ、ついには前世の記憶にまで辿着いて、その記憶を「ボク、ママのおなかをえらんできたよ」などの本やDVDを出し、15万部も売れている。
 こうすることで、親子の絆はより強固になると言う。もっと詳しく知りたい方のために池川クリニックを紹介しておく。

16.舌切り雀

 乳児の突然死や睡眠時無呼吸症なら、殆どの方が聞き覚えがあると思う。
 その原因が、舌の裏と下顎を繋ぐ薄い膜(舌少帯)の癒着にあると言う。困ったことに、日本人の94%が大なり小なりの癒着症だと言う。
 乳児では、哺乳時にむせることで発見されることが多い。自宅でお産をする時代には、産婆さんが乳の飲み具合を見てむせる児は、舌少帯をはさみで切っていたという。そうした技術も既に途絶している。
 その他にも、授乳時でさえ母親と目を合せないし、仰け反って苦しそうに泣いたり寝付きが極度に悪いこともある。
 正常人の血液中の酸素飽和度は98%で、我慢できる限界まで息を止めた時の飽和度は92%と言う。
 ところが、舌癒着症の子供では、常時93%前後だと言うから、息も絶え絶えで生活していることになる。
 仰け反って苦しそうに泣くのは、気道を確保するためであるが、生後一度も母親と目を合せず、我が子に殺意を抱くことさえあるとの告白もある。
 そうした苦界から、いともた易く救ってくれる方法があるのに。
 残念なことに学会ではなんの根拠も示さず、無意味な手術だと声明を出したり、教科書に悪習だからするなと書いている。それでいて、マスコミの取材には頑に応じない。
 しかし、手術の結果は、雄弁にその効果を証明している。こうなると、非難の声明は単なるヤキモチとしか思えない。
 成人でも、睡眠時無呼吸症が治っただけでなく、歌手は音吐朗々と声が出るし、スポーツ選手では自己記録が一挙に更新されているという。
 サラリーマンの友人は、若いときから目の縁にクマがあったが、術後はそれが消えた。仕事がはかどるようになったのは言うまでもない。お陰で、就労年齢が5年か 10年は伸びたと思うと言う。
 これを見た周りの人が、一斉に手術を申込んだ。道理で、手術の順番待が長い筈だ。詳しく知りたい方は、おかざきまりこクリニックを見て下さい。

17.脳の疲労は感知できない

 自殺者が年間三万人と報道され十年以上経過したが、実効ある対策を見出せないまま時は過ぎている。
 私は昭和63年から10年間、週に一度は戸塚ヨットスクールに通った。お陰でヨットを乗りこなせるようになった。当初はヨットに乗りたいだけであったが、間もなく関心は別のものに移った。
 ヨットスクールには現代病が凝縮されており、あらゆる施設や医療機関でお手上げになったものが、ここに入れば数ヶ月でとびきり上等の青年に生れ変っている。
 私の知る範囲でも、静岡県下の寺の息子が、県内の寺仲間では手の付けられないワルだと評判だった。三月ほどヨットスクールの世話になると、別人の如き好青年になってまた評判になった。
 彼の名を、戸塚校長やコーチに聞いても誰も思い出せない。この程度のことは、二ヶ月前後で90%の成績をもつ彼らには、日常茶飯事だからだ。この一事を見ても、ヨットスクールの実績の素晴らしさが分る。
 二年も三年もかけて、登校拒否が保健室登校になったとて、それで社会人として通用する筈もないのに。保健室登校なら三日もあれば充分だ。それよりも、貴重な青春を二年も三年も過ごすことを、責任者はなぜ恥じないのか、二十歳までは無駄な日は一日もないのに、と戸塚氏は嘆く。
 戸塚氏の実績は、偏見を持たない人には高く評価され、国会でも野党の一部の会派を除けばモテモテで、勉強会の講師として引っ張りだこだ。

 手足の筋肉は疲労を感知するので、疲労が限界点を超えれば、どなられても蹴飛ばされても動けず、こうして身体を破壊から守っている。
 しかし脳は疲労を知らないため、限界点を超えても働き続ける。自殺の悲劇も、多くはこれにあると思う。
 戸塚ヨットスクールで訓練生を観察していると、脳の働きが観察できると同時に、現象を冷静に観察し導出された戸塚氏の脳幹論の正しさがよく分る。
 昭和63年に出した拙著「どうしましたか?」の中で、「精神病は頭の病気ではない」と公表すると、専門家から驚きと激励の言葉を多数頂いた。
 精神病の原因は、肺の機能低下による脳の酸素不足が原因で、情報処理がうまく出来ないためである。強靱な肉体と精神の持ち主の登山家でも、低酸素による高山病にかかれば、無気力(鬱病)になったり虚実が曖昧に(精神分裂症)なる。
 子供でも風邪を引くと、大きな猿が飛びかかってくるとか、布団の上に砂利が山になって置いてあるなどと訳の分らないことを言うのを、殆どの人が体験したり見聞している。そこまで酷くはないが、平素は聞き分けの良い子が、風邪を引くとだだっ子になると言えば分っていただけると思う。
 風邪の話が出たところで言えば、インフルエンザの特効薬タミフルを飲むと、幻覚が出て高層階の建物から飛降りて死ぬとの報道は誤報だった。
 タミフルを飲んだグループと飲まなかったグループでは、幻覚の出る割合が飲んだグループでは半分以下になっていたという。
 飲んだ直後に飛降りたのは、薬が効果を発揮する前だったからだった。平素は健全な青年でも、悪性の風邪に罹れば精神異常の行動を起こすと理解できる。
 こうした事実から、精神病の原因は、肺の機能低下による脳の酸素不足が原因であると分る。さりとて、応急処置として酸素を吸引させても全く効果はない。肺が酸素を取込む機能が低下しているから、風邪ならタミフルでウイルスを駆逐して貰うのが早道であり、精神病なら肺の機能を正常の水準まで戻すことで精神病から救われた例を私はたくさんもっている。


18.ひばりさん、御免ね

 美空ひばりが大腿骨頭壊死だと聞き、つてを探した。この世界は自薦他薦の売込が多く、私の如き無名のものが申出ても、門前払いがオチだ。
 何人かに心当を訊ねたが、どうしても繋らなく諦めるしかなかった。
 ひばりさんが亡くなって間もなく、梯子に登れないから治して欲しいと、大工さんがやって来た。診断は大腿骨頭壊死だと言う。
 梯子どころか、歩くのさえおぼつかない有様だった。それでも一時間後には、これなら仕事が出来そうだと帰って行った。
 一週間後に顔を出し、「お陰で治りました。今日はそのお礼に来ました」とは言うが、まだ少し足を引きずっている。
 まだその歩きっぷりではと指摘しても、「もう仕事には支障なく、これなら治ったも同然です。あとは日にち薬で治りますから」と気にもかけない。
 ひばりさん、御免。縁がなかったんだ。
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